Wednesday July 29, 2009 at 23:29

「売れない時代」を「ダメ」と「ムダ」で突破する

「マクロス・フロンティア」河森正治監督・1

 「どんな方法を取ればヒットするか」という常識的なノウハウを構築していけばいくほど、売れなくなっていくような気がしていた−−1巻あたり2万枚でヒットといわれる中、DVD、ブルーレイを合わせ全9巻で、Blu-ray Discが33万枚、DVDも32万枚のセールスを記録、スマッシュヒットとなったアニメ「マクロス・フロンティア(マクロスF)」。音楽CDもシングル・アルバム7作品合計で100万枚を突破した。

 時代の欲望を形にするアニメーション監督に聞く連載、今回登場するのはこの「マクロスF」の河森正治監督。彼が状況の突破口と考えたのは、時代に溢れる「正解を求める」考え方そのものを捨てることだった。

●作品紹介●

西暦2059年。異星人との星間戦争で滅亡の危機に瀕した地球人類は、種の存続を賭けて新天地を求め、銀河の各方面へと旅立っていった。数えて25番目となる超長距離移民船団「マクロス・フロンティア」の冒険を描く。1999年(!)を舞台にした、1982-83年の大ヒット作「超時空要塞マクロス」の続編でもある。【「マクロスF」公式サイトのリンクはこちら

—— メガヒットした「マクロスFrontier(以下マクロスF)」。今はアニメに限らず、作り手、売り手側には厳しい時代ですね。ジャンル全体を支えてきたDVDの売り上げが落ちていく中で、競合商品が大量に提供されています。

 それこそ世界中で、新しいビジネスモデルが模索されているわけですが、その中で河森監督はこのメガヒット作をどのように仕掛けられたのでしょうか。

河森正治(かわもり しょうじ)
1960年、富山県生まれ。アニメーション監督、メカデザイナー。慶應義塾大学工学部在学中からデザインの仕事をはじめ、スタジオぬえに入社。82年のテレビアニメ「超時空要塞マクロス」で戦闘機がロボットに完全変形する“バルキリー”のデザインを手掛け、84年、映画「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」で初監督を務める。95年にアニメーション制作会社サテライトの設立に参加。同社にて、「地球少女アルジュナ」(2001年TV)、「マクロスゼロ」(02年OVA)、「創聖のアクエリオン」(05年TV/07年劇場版)、「マクロス・フロンティア」(08年TV)、「バスカッシュ」(09年TV)などを手がける。現在、劇場版「マクロスF」を製作中。SONYの「AIBO(ERS-220)」や日産のCMに登場した「パワード・スーツ デュアリス」のデザインも手掛けている(写真:星山 善一 以下同)

河森 今までの方法論では売れなくなってきているというのは、もちろんアニメも同じです。

 「マス」を相手にしたマーケットがやばくなってきたのも皆さんご承知の通りですね。昔だったら、自分ももう少し好き勝手に言えたんですよ。「いいじゃん、一部の趣味人が楽しんでくれれば」と。ところが今はそう言った途端、本当に(DVDが)1000本も売れなくなるみたいな(苦笑)。僕らはそういうクリティカルな時代を生きている。

—— 景気は悪くなる、提供される商品は多すぎる、大量なコンテンツの中で何が面白いのかという情報収集に疲れて「間違いなさそうなのを誰か選んでくれ」ということで、ランキングの上位に選ばれたものだけがメガヒットとなり、そうでないものは全く売れないという二極化が起こる。

ヒットのノウハウが固まるほど、全体では売れなくなる

河森 そうです。今って、「どんな方法を取ればヒットするか」という常識的なノウハウを構築していけばいくほど、売れなくなっていくような気がしていたんですよ。

 売るための方法論をあれこれ考えた理由はもうひとつ、このままオリジナルのアニメーション(コミックや小説などの原作付きではないアニメ)が滅んでしまうと僕らとしては大変にやばいので、オリジナルアニメも売れるんだという実績を1回作っておかないと、という意識もありました。

 それで、実験をしてみたんです。ひと言で言えば「多様性」というものをどこまで作品に入れられるかという。

—— 「マクロスF」の前身で、初監督をされた「超時空要塞マクロス」は、1980年代の大ヒット作でした。戦闘機や戦艦が星間戦争をしているところに、リン・ミンメイという女の子の歌が、「文化」を知らなかった侵略者側にカルチャーショックを与え、戦争が終わるという。あの頃から、戦闘機あり美少女ありという「多様性」はあったと思いますが。

河森 多様性があったようで、充分ではなかったんです。大きな流れとしては1つの方向にしか向かっていなかった。当時はバブル期で、その流れに乗ったと思うのですが。ひとことでいえば「テクノロジー万歳」というやつですね。

 今回の「マクロスF」は、正反対のベクトルも意識しているんです。表面には出さない裏テーマとして、もっと人間とか自然の生理に近いようなフィジカルなところを入れたいと。

「マクロスF」に盛り込まれた多様性とは

—— それは、時代が「テクノロジー万歳」から、「自然」のほうへ向かっているという解釈ですか。

河森 いえ、どちらか一方ではマズイ、ということなんです。テクノロジーはもちろんあっていいし、自然があってもいい。

 一方向にだけ偏っていることがマズイんだと思います。

 今は、「これからは○○の方向で行くのが良い」という、「正解」というものを探しすぎなんじゃないかと思うんです。みんな「どこかにある正解」を求めて迷走しているという。

 アメリカ国民がオバマさんを自分たちを助けてくれる唯一の存在として支持しているのも、正解を求める心の有り様のひとつじゃないかと思うんですよ。みんなが、ロジックでも英雄でも、揺るぎない正解が欲しいという。

—— おっしゃる通り、閉塞感を味わっている中で、そこから出られる解を探しているのだと思います。

河森 ものが売れないだけじゃないですよね、近代から始まった市場主義経済とそれに伴うシステムが、このところ行き詰まっている。

 みんな、「優れている」と思えるたったひとつの方法を掴もうとやっきになって、他が見えなくなっている。

 僕は、正解を○×で決めるような、ある1つの枠組みの中だけで考えてしまう「思い込み」そのものが、今の閉塞感を招いていると思っているんですね。

 「どこかにもっと優れたノウハウがあるはずだ」という考えが、「勝ち組・負け組」とか、「○×社会」化を招いていると思うんですよ。正解はひとつだけで、あとはみんないらないもの、ダメだとかムダだとか決めつけたせいで、活力がなくなっている。

 活力は、ダメとかムダに思えるものが混在する中にこそ、育つと思うんです。

自分も「テクノロジー」だけに○して生きてきた

—— そこまで含めての「多様性」を認めるということですね。具体的にはどんなことなのでしょう。

河森 話すとちょっと長くなるんですが、僕がこういうふうに考えるようになったきっかけは20年以上前にさかのぼるんです。

 こんなふうに考えるようになったのは、もともと自分が、すごくテクノロジーが大好きだったからなんですよね。中高大学生ぐらい、最初の「マクロス」をやっている途中ぐらいまでですかね。SFとか大好きで、テクノロジー志向が強くて、「今よりも、未来の方が好きだ!」と言えるぐらいに未来志向だったんですよね。テクノロジーが進めば未来はもっと良くなるという。

 ただ、作品を作るときに、ほかの人と同じことだけはやりたくなかった。それで、テクノロジー万歳の「マクロス」の戦争では、決着を歌でつけようと。要するに、どんなに出てくるメカを変えようが、物語を変えようが、戦争を武力で解決したら、ほかと変わらないじゃないかと思って、武力で解決しない作品にするアイデアを思い付いたところで「マクロス」になったんですよね。

 そのときに、ただ歌っただけだと説得力がないので、異星人側の方には「文化がない」という設定にした。じゃあ、文化って何だろうと、興味を持ち始めたんです。

米国のエンターテインメントに浸りまくって

 その後、テレビの「マクロス」が終わって3週間、映画の「マクロス(超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか)」が終わってからは1カ月間アメリカに、濃密な取材旅行とでもいうんでしょうか。もう本当にいろいろなところを、朝の6時から夜中の3時までずっと取材して回ったわけです。先端技術でいえばNASAから、軍事基地、ペンタゴンにFBIに博物館、美術館ももちろん行くし、街中に行くし、ミュージカルを見にいって、続いてラスベガスのショーを見に行くみたいな。

—— それはいつごろですか。

河森 それが1983〜4年。もう25年以上も前ですね。

—— 日本はプラザ合意後、円高不況からバブルへ向かい始めた頃ですね。

河森 今思うとバブリーな旅ですよね。お金をかけて、もうとにかくいろんなエンターテイメントを見たので。

 ざーっと見ているうちに、世界最高のエンターテイメントを見たはずなのに、・・・すごく面白いんですけれども、そこで何か、「すごいんだけど表面的」みたいな。何だろうな、そう、どれを見ても、刺激の質が似てきちゃうように思えたんですよね。

—— 刺激の「質」?

河森 「近代文明というものが持っている快楽とか刺激の質というのは、つまるところ同質の、こういうものなんだな」みたいな感覚ですかね。本当にいくつショーを見たか分からないし、ロケットの打ち上げも行ったし、飛行機を見ようとか言っても何百機も置いてあるようなところに行くわけで。

 それでも、物質文明的な面白さはたっぷりあるんだけれども、それだけでは満たされない部分が残った、というのかな。

 何が足りないのかが分からなくて、そのときに、「そういえば自分の国の隣に行ってなかったよな」と思って中国に行ったんです。当時、世間では、中国4000年の歴史というのがブームになりつつあって、NHKの「シルクロード」とかをよくやっていたころだから、悠久の時を見に行く、みたいな気分で行ったわけです。「日本文化のオリジナルが見られるかも」と行ったらば、もう何かほとんど大正時代の日本に行ったような。

アジアで「面白さの種類は物質文明系だけじゃなかった」と気づく

—— 80年代だったらそうでしょうね。

河森 北京の街中とかも、夜になると街灯もないのに何百台、何千台の自転車が、数車線ある道を全部埋め尽くして、川のように流れてくるんですね、ほとんど車が走ってないから。「シャリシャリシャリー、シャリシャリシャリー」と音だけ響いて壮絶な光景だったですね。彼らはライトをつけないし、ライトをつけなくても夜目が利くから見えちゃうし。これが、一国の首都の光景なのか、みたいなね。

 泊まったホテルの部屋からは裏通りが見えて、翌朝、窓を開けると黄砂で全部がガスってるんです。冬だったので石炭の蒸気がうずまいていて、そこを馬を引いた人が歩いていてたり、トンカチで一個づつ石を割っているおじいさんがいたり、もうパラレルワールドに行ったような感じがして。

—— アメリカでは味わえなかった、別の刺激を受けたわけですね。

河森 そうなんですね。未開というと間違ったイメージになりますが、「近代化の波」がまだ来ていないところが面白いんです。その後に、内モンゴルと、シルクロードと、それから雲南省の大理にある未開放地区、外国人がまだ入っちゃいけない場所にも行きました。

 それからは、お金の掛かる欧米取材は会社に出してもらって、アジアは自費で行くようになりましたね。アジアはとことん金を掛けないで行く(笑)。

テレビがない場所ほど子供の目は輝く

 面白かったのは、アメリカだとお金を出せば出すほど、エンターテインメントから何から面白くなっていくんですよね。一方、アジアは使わなきゃ使わないほど面白い。インドとか、ネパールとかに行くと、タダに近づけば近づくほど面白いことが体験できるという、その両極端がすごく面白くて。

 その時に、テレビアニメーションを作っている自分がぐらつくような話なんですが、世界中、どこに行っても、電気が通らなくなって、テレビの存在がなくなった瞬間に、子供が生き生きしてくるというのを見てしまった。日本では最近こういう子は見てないなというぐらいに、何か生命感がある。すごく衝撃的だったんですよね。

 そんな皮肉を見せつけられて、自分は相当、近代文明というひとつのモノサシだけでしか、ものを見ていなかったことに気がついた。

 中国に行って、子供たちを見て、もしかしたら正反対な生き方もあり得るんだなと。自分がアジア人でありながら、相当アメリカナイズされていたんだなと思って。アメリカナイズが悪いと言うつもりは全然ないんです。けれども、ある1つの物の見方に囚われすぎて、催眠にかかっていたみたいな感じがしたんですよね。

河森 日本に戻ってきたら、やっぱり人間がなんだか薄味に見えちゃって。向こうは生き物だけれども、日本人は自分も含めて、みんな造花やマネキンに見えちゃうみたいな、そんな感じをすごく受けて。

—— そこで先ほどの、「ひとつだけの方向性で見ないようにする」という考え方に繋がっていくのですね。

河森 そうですね。何かやるときに、自分はひとつの方向ばかり見ているんじゃないか、正反対の側もあるんじゃないかと考える癖がついたんでしょうね。

「何もしない」で育てる

 さらに、その後転機になるようなことがあって。中国から帰ってきてわりとすぐ、2〜3年してからですね。27〜28歳のころかな。1988年。

 たまたま知り合いから、自然農というのを紹介されて。この農法の考え方が、すごく面白く感じたんです。常識はずれに聞こえる話なので、これを言うのはちょっと勇気がいるのですが、あくまで自分が面白いと思った、一つの考え方として聞いて下さいね。

—— はい。

河森 僕たちが「働く」とか「仕事」というときの基本概念って、「畑を耕す」ところから来ていますよね。今の子たちはどうかは分からないけれども、僕らの子供時代だと、やっぱりまだ仕事とか、働くことの原点は、「畑を耕す」ことだという。農耕民族だから、そういうふうに言われていたというのかな。

 ところが、自然農では、「畑は耕しちゃいけない」という。畑を耕したからおかしくなったんだ、というのが基本発想にあって、それがすごく面白くて。

 もともと野菜だって、自然に生えていたわけだから、誰も耕さなくたって、ちゃんと生えるじゃないかと。動物とかが自然にやってきて、そこを通ればそれが耕す代わりになるという。だから人工的に耕す必要がないんですよね。

 あと、自然農の場合は、そこに何でも生きているんですよ。あらゆるものが。キャベツもあれば、雑草もあれば、そこに虫も来て、要するに虫が作物を食いに来て構わないというのを前提にしている。来てくれるからいいんだというぐらいの言い方ですね(笑)。

—— 害虫が食べてもかまわないんですか。

河森 別に葉っぱを食べてくれたってかまわない。たいてい、食われている場所は栄養過多で過剰生長している所か、反対に傷んでいる場所だからいいんだと。傷んでいる場所を食ってもらえば弱った部分は分解できるし、虫がふんをしていくんだから、それが次の肥料になって、かえってその野菜は、よりよく成長できるという概念なんですよね。

 実際に、それを実行している農地を見に行くと、雑草だらけなんですよね。草むしりをしない、農薬も使わなければ、有機肥料さえ使わない、耕しもしないという。そして、草ぼうぼうの中にちゃんと作物が成っている。

手を施しすぎて、うまくいかなくなる

 それを見たときに、「ああ、本当だったんだ」とショックを受けた。なるほど、と自分の中で何かがすっきり繋がったんですね。

 くどいですが、これが正しいか、間違っているか、あるいは日本の農業がどうあるべきか、といった話じゃないですよ。考え方のひとつとして、近代文明というのは、どうしても人間が過剰に手をかけてしまいがちになところがあって、今は、その「過剰の手」を施しすぎたことで、うまくいかなくなっているんじゃないの、と、自分の中に仮説が立ったわけなんです。

(次回に続く)