「キャベツ畑の毛虫」は殺すべき?
「マクロス・フロンティア」河森正治監督・2
——「ヒットの方法論めいたものが固まるほど、モノは売れなくなっていく」「その突破のカギは、ダメ、ムダを含めた多様性にある」というお話を、「マクロス・フロンティア」でヒットを飛ばした河森正治監督にうかがっています。
では、「多様性」というやや曖昧な言葉をもうすこし具体的に、とお聞きしたところ、河 森監督は「20年前に自然農の考え方に触れ、実際にそれを見たことで、近代以降の思考への疑問が生まれた」と話し始めました。作品に出てくるアイテムや扱 うテーマよりもっと広い、思考の枠組みからの見直しを、監督の言う「多様性」は指しているようです。
—— 私は、自分では自然農の考え方に接したことがないのですけれど、『奇跡のリンゴ』(※)はとても面白く読みました。
※『奇跡のリンゴ』
(石川拓治著、幻冬舎)
青森県のリンゴ農家木村秋則氏が、農薬を使わないリンゴ栽培に挑んだドキュメント。NHK「ザ・プロフェッショナル」でも紹介され大きな話題を呼んだ。氏は試行錯誤の結果、雑草や虫の除去をやめ、9年をかけてひとつの生態系を畑の中に作り上げることに成功する
河森 近代以降の考え方って、「人間が何でも制御する」方向にいきましたよね。日本でも、明治以降ずっと欧米のそうした流れの中にい る。農業にしても、今の作物はすごく手をかけて作られていますよね。たくさんの肥料をやって農薬を散布して。でも、その手間をかけなくても作物は育つんで す。昔はそんなことをせずに、作物は育っていた。
じゃあどうして手間をかけるのかというと、自然のままに育てると、多くの場合対面積当たりの生産量は70〜80%ぐらい、2、3割は落ちるんですよね。
—— その3割を増やすために近代農法は発達したと。
河森 そうですね。今の近代農法は、その2、3割を上げるために、見合わないくらいものすごい手間をかけている、というのが、自然農の考え方というわけです。
だから日本の農業を自然農に転換しろとか、大それたことを言いたいんじゃないですよ。あまり真剣な目で言うと引かれちゃうんで、組織作りや商売に考え方を広げる上での、ひとつの仮説として聞いてくださいね。
「もっともっと」という欲望に、手間が見合わなくなってきた
河森 近代文明は、とにかく手間をかけて収量を増やそうとする。「もっともっと」という欲望を、テクノロジーでどんどん拡大していっ たものですよね。「もっと」というのは、それも大事な人間の有り様だと思うんですが、別のところがどんどん切り捨てられていった歴史でもあると思うんで す。
—— といいますと。
最大の生産量や成果を求めるには、それまでのものを壊して、一から作り替えるほうが手っ取り早い。近代というのは、極端に言えば、1回全部壊して から、新しく同じ機能を持つものを作り上げる文明ですよね。下手をすると、今までその場所でうまく機能していたものを、一旦、機能しなくしてから、何とか うまくいくための装置を作ったりしている。
—— 農薬をまいて、虫の功罪の影響をナシにしてから、そこで改めて耕す農業をやるみたいな。都市の再開発もそうかもしれませんね。いちど更地にしてからショッピングモールと超高層オフィスビルを建てる。
河森 国際史もそうです。自分たちのルールとは違うやりかたで生きている地域を、「未開」の土地として、植民地にして、現地で培われ てきた文化や生態系を破壊して、別の“効率が良いと思われる”自分たちのルールを入れる。すると、そこの土地の文化に合わないので、しばらくするといろん な不具合が現れる。
・・・話がどんどん大きくなっちゃってますね。
—— 大変面白いです。その、近代文明が切り捨てていったところが、今の日本や世界の「弱さ」に繋がっている、と?
河森 土地に肥料をどんどん投入して、大きく育つようにする。いらないものは薬品で排除する。そうすると、必要なものだけが育つ。それは一見、効率がいいことに見える。
ところが、その過剰な手が、人や生態系をとても弱いものにしていったという側面もあるんじゃないかと。
収量を第一義に置くと、被害も大きくなる
河森 自然農の考え方でいくと、近代農法で、地面を耕して、肥料を使っている場合は、仮に有機肥料を使ったとしても、虫が来るとやっ ぱり甚大な被害に遭う。その理由は、耕していることで、土が「本来の機能」を失ってしまっているからだと。土の中の生態系が壊れているところに過剰な栄養 を与えて、急速に成長をさせているから、「弱い野菜」ができている、と。要は、異質なものを置くと、虫が来て元に戻そうとするようなもので、異物を含んだ 野菜を作っているんだから早く崩れて当然、それは近代農法であろうが何であろうが、肥料を与えた野菜はみんなそうなるんだと。
信じるか信じないかは別として、何だかすごく面白いですよね。肥料を与えていなくて、必要ぎりぎりの栄養価で育っているものは、過剰成長しないから被害に遭いにくいという。
一方、過剰成長をしていると、一見、大きくなってよさそうなんだけど、大きくなり過ぎたところを(虫に)食べられちゃうんですよね。
そこで、野菜でも人でも、手をかけ過ぎると、自然に備わっている力が失われていくんじゃないか、と思うんですよ。
今、子供だってすごく手をかけて育てられるでしょう。でもそうした子供が大きくなって巣立つときにつまずいてしまう。本当は、そんなに手をかけなくたって育つのに。現に僕の子供の頃なんかはそうだったんですよ、とつい思ってしまう。
—— 今は、子供には嫌なことはさせない、汚い物は目に入れさせない、という方向に来ていますね。
河森 そうなんですよ、すごく不思議ですよね。嫌なことをさせない、下手をすれば無菌状態にするとかって。何億年も昔から菌だらけのところで、動植物は、そして人類はここまで生き延びてきたんだろうと思うんですがね。
葉を食う虫、作物の養分を吸い取る雑草、一見、邪魔に見えるものですよね。
でも、それを排除していくと、どうも弱くなっていく。
—— 考えてみれば、不思議ですね。
「いらないもの」が案外全体を支えているのかも
河森 そこが自然の生態系の面白さなんですよ。
生態系の中というのは、何かを排除するんじゃなくて、害虫も雑草も、人間から見れば「いらないもの」と思えるものが、全部入っていて、初めて機能すると思うんです。
今の畑は、その畑にはキャベツしかいちゃいけない世界なんですね。「いらないもの」が一切ない。その代わりに肥料や薬品など、生態系に合わないものを入れて、何とかしようとしちゃうものだから、虫も来てくれないし、雑草も育たない。
自然農法をやっている方に伺ったところ、とにかく手間がかからないと。何しろ種をまいて終わりだから、あとは収穫をするだけなので。だから土地面 積あたりの収量は多少落ちるけれど、人手の手間、マンパワーや、機械化のための使用エネルギーに対しての生産効率はべらぼうに高い。
生態系を壊して、単一のものしか入れないと、その場は一見いいように見えながら、長いスパンで考えると、非常に効率が悪いのではないかと。
—— それは大きく言ってしまえば、人間や組織もそんなに変わらないのでは、と?
河森 中国の奥地とか、アジアの奥地に行ったときに、子供たちがすごく生き生きしていて衝撃を受けたんです。
考えてみれば、ふつうに作物を食べて、幸せに暮らすのに、少なくとも子供の視点で考えれば、何もなければないほどいいわけですよね。エネルギーも 石油燃料も使わない、電気も使わないで、テレビもない、メディアもない、けれども幸せだという。幸せを選るのに、過剰なエネルギーを投入することはないっ て思い知らされたんですよ。
—— 「過剰な手」を加えることで、生産量を上げて生きている私たちですが、3割生産量が上がるなら、それでよいという考え方もありますよ ね。現にそのようにしたからこそ今の私たちの暮らしがあるわけですし。今の日本人がもう一度近代文明以前の状態に戻ることはできないでしょう。
河森 そうです。自然は何もしないほうがうまくいくといっても、実際に自然農をやる農家の方は少ない。もう僕らの生活は近代以前には 戻れないし、近代から始まったテクノロジーだったり、メディア産業だったりというのは、それはそれでやっぱりすごくいいものなんですよ。それ自体が悪いわ けでは全然ないんだけれども、今は、効率を求めるやりかたが行き過ぎちゃったという気がするんですね。
「最大公約数」を狙い過ぎて、ニッチ(単一)化する
—— 利益や株価などの数字を上げ、より豊かになるために、効率という考え方が重んじられたはずですが。
河森 近代化が生態系を壊していることと、今のマーケットが元気を失っていることは、僕は非常に関連があると思っているんです。
効率よくということは、「いるもの」と「いらないもの」をものすごく厳密に分けて、加えたり排除したりすることですよね。それでどうなるかという と、効率の良い部分に“特化”して、あげく「単一化」に行き着く。キャベツ畑には、キャベツしか許さないという世界になっていくんですよね。
—— 「単一化」にはどんな弊害があると思いますか。
河森 いろいろあると思いますが、売れるところに擦り寄っていくうちに、単一のトーンに商品が揃っていくというのは、アニメはもちろん、ニッチ特化型になってしまった今のマーケット全体の雰囲気と似ていませんか。
ニッチなものをマスに広げよう、というよりも、「ニッチなところにどう売っていくか」という話に特化している売り方ですね。売る側も商売がうまく なった。自分のグループで全ての買い物をさせようというポイントキャンペーンとか、よくある話だと初回限定品とか、手を変え品を変え、ニッチへの適合性を ものすごく高めてしまった。
隙間の、本当に狭いターゲットの、好きな人のためにという作り方ができたとしても、これだけニッチだらけになってしまった時代だと、マスマーケットが難しいんですよね。そこはすごく、今の時代の課題だと思うんです。
—— いらないものを許さない、単一のものしか入れないというベクトルと、商品のターゲット層に向けてピンポイントで売るための商法は、似ているのかもしれませんね。
河森 テレビの視聴率低下もそうだけど、マスに行こうと“最大公約数”を狙うと、結局、その中で一番数字が取れたのが「バラエティ」 とか「ニュースショー」だとしたら、だったらゴールデン枠はみんなバラエティ番組かニュースにしよう、あとは全部いらないよということになって、みたい な。でもそれはマスではないですよね。効率を優先しすぎて、他は全部いらない、ということをやると、本当のマスがどんどん遠のいていく。
—— いろんなところが「マスはどこだ」と血眼になって探している。しかし、その最大公約数と思える部分に「効率的に」絞っていくことで、“その他大勢”の人が弾かれていく。それは、今のマーケットの陥っている罠かもしれません。
マスなき世界の明日はどこ?
河森 いらないものや使えないものをどんどんそぎ落としていく、そんな単一化が、閉塞感を招いているのでしょうね。
俗に言う売れ線ばかりになってしまうと、みんな似たり寄ったりになってしまう。だけど、誰もハズレるのが恐くて新しい事に手を出せない。そして、「今まで見たことのない」要素を含んでいる物は、効率志向だと弾かれがちになってしまう。
結果、これだけモノがありながら「ほしい物は別にないよ」と言われちゃうんでしょうね。そこから抜けるには、「多様性」とビジネスの両立だと思うんです。
—— とはいえ、多様化すると効率は落ちるわけですが、それを打破する策はありますか?
(次回に続く)