空を「青以外」で塗らせるのは意外に難しい
「マクロス・フロンティア」河森正治監督・3
イマジネーションを絵にする仕事である、テレビシリーズのアニメ監督は「時代の欲望」をどう捉えているのか、それを伺ってきた本連載ですが、今回 は、個別の欲望に応えようとするあまりニッチ化してきた作り手側に、「多様性」をどうしたら取り戻せるか、という話になってきました。もちろん、作品とし ての採算もきちんと取らねばなりません。
作品に多様性を入れ込む実験として作られ、大ヒットを記録した「マクロス・フロンティア」を題材に、「商売になる多様性」の作り方について、お話を聞いていきます。
アニメーションは、「観客に先を読まれたら終わり」
—— 今の作り手側、売り手側は、ターゲット層に向けてピンポイントに的を絞っていくようになった。ところがそれが行き過ぎて、マーケットそのものが縮んでいる。それは近代から始まった効率主義が、ついに行き着いてしまったところなのでは、というお話でした。
河森 アニメーションも、90年代初めくらいから、ビデオやLDなどのソフトを買ってくれるお客さんに向けて、よりユーザーの好みに 特化して作り始めたという歴史があります。90年代が終わって2000年代になるころからさらにそういう流れが加速して。僕も「マクロスプラス」「地球少 女アルジュナ」を作った頃から、アニメファン層のさらにニッチな好みに適合させるかどうか考えた。ニッチ適合は、本質的に嫌いなわけじゃないんだけれども (笑)、それではやっぱり自分の守備範囲を超えられないと思ったんですね。
それに、アニメーションというのは、他の商品と比べてちょっと特殊なところはあるかもしれません。観客に先を読まれたら終わりなんですよ。
もう言語化されて、現実の部分に起きていることを後で追ったらば……アニメーションって作るのに時間がかかるので、間に合わないんですよ。バラエ ティだったら間に合うんだろうけれども、オリジナルアニメーションの場合は作っていると、1年、2年遅れる。絶対にそれでは勝負にならないということが最 初に分かっているメディアなんです。
—— アニメーションの場合は、さらに時代の先読みをしなければいけない。
河森 時代のニーズ、マーケティング的に合わせていく部分は、最終的にパッケージとして出すときには確かに重要なんですけれども、ど ちらかというと、まだ表面には出てない、内在化されている人々の気持ちとか場の空気をキャッチして、クリエートして、最終的に現実世界に適合させる。マー ケットに出す直前の、ギリギリの段階で軌道修正をして出すみたいな、そんな感じというんですか。
—— 人々の表に出ていない気持ちや場の空気……まさに、言語化されていない「時代の欲望」ということですね。
河森 アニメーションに限りませんけれど、その欲望をお客さんに「皆さんが欲していたのは本当はこんな形ですよね」と見せてあげると、ああ、そうだったんだよとお客さんが気が付くと。
—— 「iPod」が出るまでは誰も気づかなかった「自分の持っている音楽を全部持ち歩く」欲望、みたいな話ですね。
河森 理想ではあるんですけれども、それくらいのことをしないと難しいですね。
—— でも、これだけ変化が激しいと、ずいぶん先読みが必要ですね。そういえば、毎日ウェブで記事を配信している担当編集のYさんは「ヒットする言葉が日々どんどん変わる」と驚いてました。
河森 そうでしょうね。情報過多の時代にあっては、「今自分が職場で見ているものは全て後追いのもの」、ということにもなりかねない。知らないうちに自分のいる業界、自分のいる職場、ヘタをしたら上司の顔色からしか物事が見られなくなっているかもしれない。
それで、実際に製品化するには、何月何日までに出すとか、どの順番で出すというフォーマットはすごく大事になってくるんですけど、今は、それが逆転しちゃうことが多いんじゃないかな、という。
—— と、いいますと。
河森 最初にどんなモノを作るかという段階で、「このフォーマットに合わせるには、どう作ればよいか」になってしまうケースが多いと思うんです。「今、納品するためには、この製品の足りない点なんて考えないでとにかく作ればいいんだ」みたいなことが容易に起こる。
結局、“期日に間に合わせるためのクリエーション”になってしまって、主従が逆転しちゃうんですよね。
だから、僕のところでは、フォーマットに合わせる作業は、最終段階ではやるべきなんですけれども、クリエーションの部分では極力やらないようにしたいなと。詳細な設計図を作ったりとか、マーケティングをしたりしてしまうと、かえって広がらないなと。
—— 設計図やマーケティングにたいした意味はないということですか?
河森 調査は必要なんですけど、それだけに頼っていると、「今職場にある情報」だけで作ることになってしまい、お客さんの潜在意識の先読みまではできないですよね。
だから、「今、自分は、この職場この業界のこの日本の中でしか、ものを見ていないぞ」と意識して「思い込みの枠」を外さないといけないと思うんです。
—— 思い込みの枠、ですか。
思い込みの枠があると広がらない
河森 「今、売れるものを作るには、この方法しかない」と思い込むことが、かえってモノを売れなくしている。というと分かりやすいかな。同時期に他の会社から同じコンセプトのものが出たら、それだけで売り上げは落ちますからね。
狭い範囲に向けて作り込んでいくという方法論は確かにあるし、悪いことではないんです。ただ、それだとやっぱりマーケットして広がらないのがまず1つある。
それから、個人的な気持ちとして、アニメーション作品がお客さんの好みの細分化に合わせていったことで、ファン同士でも他の人と交流ができなく なってきているんですね。今は、作品の本数はたくさんあるんだけど、ファン同士で「同じアニメを観て語る」ということが、難しくなってきているんです。お 互いの趣味について分かり合える領域が本当に狭くなってしまって、わずかな違いで別々のコミュニティに住むことになって、そのニッチな領域から外に出なく なってしまう。
僕は、それはさみしいなと思うんです。
今の効率重視からくる閉塞感は、商品の売れ行きだけじゃないと思うんですよね。お客さんのコミュニティさえもバラバラにしている。
それは、やっぱり目的とか方法が、モノを作って売るためにはこの効率的なやり方はひとつしかない、と思い込んでいるところから来るんだと思うんですよ。
今の日本人や日本の企業って、個別最適で本当に技術は上がっているし、みんな優秀な人ばかりになっているんだけど、難しいのは、その優秀+優秀が、ハイブリッドな強さにはまったくならないようになっている。
—— 優秀+優秀だけでは、思い込みの枠からは逃れられないと。
河森 同じベクトルの優秀さばかりを集めると、いくら足しても、既存の枠からは離れられないと思うんですよ。
それって「同種のもの」ばかり足しているということでしょう。そこがつまらないし、閉塞感に繋がっているのだと思います。
異種格闘戦をしてみよう
河森 僕のところにも、優秀なスタッフが集まってきています。でも、同種のものを足すだけではもったいない気がしたので、それぞれのスタッフの持ち味を活かしながらも、才能をぶつけ合わせるみたいなことをしたいと思ったんですね。それは異種格闘戦ですよね。
もともと、「マクロス」の「歌と戦闘」というのは、お話自体が異種格闘戦になるわけですけれども。
—— 河森監督が作られた初代「マクロス」も、歌で戦争を解決するという、相当「思い込みの枠」を外した作品でしたね。その頃から意識されていたのですか。
河森 そう考えると、昔から既存のものと同じことはしたくないという性分だったのかもしれないですね。
戦闘機や人型ロボットと戦艦の戦いというのはアニメでいくらでもあるでしょう。
—— はい。
河森 あれはアニメでいえば、昔ながらの“足し算”のモチーフなんですよね。食い合わせが良いモノ同士をプラスすることで最初っからまとまっている、という。
でも、武器対武器みたいな同種の戦闘って、それだけでは広がりがないんですよ。あるところまでで止まってしまう。
—— ニッチになってしまうと。
河森 そう。だから異種格闘戦にして、「歌」と「武器」で、「え、この両者じゃどっちももはや戦いようがないんだけど」みたいな形にして(笑)。
河森 例えば戦闘シーンがある、そこに壮大がオーケストラがかかるというのは“足し算”ですよね。なじみが最初からいいもの。でも、 壮大な戦闘シーンに、アイドルの女の子が歌うラブソングがかかるというのは、もはや“掛け算”にしかならないんですよ。もちろんハズせば論外になっちゃい ますけどね(笑)。足し算というのは同種だから足し算として成立しているのであって、種類が違うともう掛け算をするしかないわけですよね。
異質なもの同士を掛け合わせることで、未知のものが生まれていく
河森 何か新しいことをやろうと思ったら、足し算じゃなくて、掛け算がいいと思うんですよ。
何かと何かを混ぜるときに、すごく異質な組み合わせをやってみるというのが1つの手ですね。「歌」と「武器」を掛け合わせるとか、本来成り立たないはずのものを合わせることで、化学反応が起きて、その両者ではない新しいものが生まれていく、僕はそこが好きなんですね。
水と油を足して、ドレッシングになるのか、化学反応を起こして別なものになるのかというのが勝負どころで、化学反応レベルまでいければかなりのエ ネルギーが出るし、核融合までいけるともっとすごい爆発力を生むという感じなんですよね。どれほど違うものを掛け合わせられるかだと思うんですよ。
—— 違うものを掛け合わせる=思い込みの枠を外した状態だということですね。
河森 そうですね。思い込みという、ある均一な価値観からはみ出していることが大事だし、はみ出しているものが1個じゃつまらないので、はみ出したものが大量に、多様なはみ出し方をしながら集まると面白いという。
人間以外の生物だと、そういう複合的なメカニズムがうまく機能しているんですよね。単一機能ということはほとんどなくて、1つのものが何種類もの機能を持っていたりする。生物の皮膚は、防御装置でもあると同時にセンサーでもある、という具合に。
「1つのものが1個の機能、可能性しかない」というのが現代社会の問題点だとしたらば、自然の生物は多機能で、1つのものがいろいろな役目をするんですね。
—— 私たち人間は、一番多機能なはずですが、それを忘れてしまうのはなぜだと思いますか。
河森 「単一機能」だったり、「単一の可能性しか世の中で許されてない」という思い込みが増えちゃったのだと思うんですよ。
他の生物と違って、脳で考える存在である人間になると、とたんに「これはダメ、あれはムダ」というふうに選別を始めてどんどん単一化していく。その思い込みの枠が、近代文明が行き着いた果ての弊害なんじゃないかな。
—— ちょっと違うかも知れませんが、「それをやっても許される立場」にならないと、「やりたいこと」でもやってはいけない、みたいな思い込 みと似ていますね。「係長にならなければ、新規事業を提案してはいけない」とか「イラストレーターにならないと、絵は仕事として描いてはいけない」とか。
「空を青以外で塗る」ことの難しさ
河森 そうそう。現代人の多くは学校教育を受けて、ある1つの価値観に染まっているから、「○○じゃないとモノが作れない」とか、「××じゃなかったら物が考えられない」とか、思い込まされている。でも、そんなことは全然ないんですよね。
—— 「自分はこれしかしてはいけないんだ」という思い込みは、もともとそういう思考が私たち人間の中にあるからなのでしょうか。
河森 いや、ないです。今の「○×社会」になってからですよ。○か×か、選択肢ボタンを押してどちらを選ぶかを決める、それで選んで いるつもりにさせられている文化であるからだけであって、○×ではない、選択肢の4つのボタンだけじゃできないことを、ゼロから考えたり判断することを訓 練されてないから、そこができなくなっちゃうんですよね。
—— 訓練で突破できますか。
河森 訓練されていないということは、今から訓練すればいいじゃないかということで、「マクロスF」でも、スタッフの若い子たちに1つ実験をしているんですよね。
デジタルのクリエイターの子たちが、能力があるはずなのに、力を発揮しない時期があったんですよ。僕が、「好きに色を塗っていいから、いろいろな 色を試してごらん」と言っても、例えば空を、青だったら青、水色、ターコイズとかに塗ってくるんですよ。そうじゃなくて好きにやっていいんだからと言って も、緑を塗ってきたりとか、黄色というのはしないんですよ。
—— なるほど。青のバリエーションの中でどうしても考えてしまう。
河森 そうですね。空は青く塗らなくていいよ、「A案」があったとすれば、あとは「B案」「C案」を出せと。「A’」や「A”」 「AA」なんていらないんだと。ABCでそれぞれ異なるものを出さなきゃいけないんだから、とんでもないぐらい違ったものを出せと言っても、出ないんです よ。本当にわずかな違いしか出てこないので、やっぱりこれはニッチ適合文化みたいなものなんだろうなと。
それが嫌で、僕が絵コンテ(アニメの映像を作るための設計図にあたるもの)を描いて、「あとは好きにしていいよ」と渡しても、その中で遊べない。 「物語の中で、このシーンではどんなことが要求されているか、その意図さえつかんでくれれば、コンテ通りの動きにする必要なんかないんだから」と言って も、A’、AA’から変えてこないんですよね。
好きにやっていいと言っただろうと言っても、あまりにも話が通じないので、「マクロスF」の第1話のときには、もう腹が立ったので、“白いコンテ”ですよ。「戦闘をかっこよく●●秒で」としか指示が書いていない(笑)。
—— 究極のオーダーですね。
河森 実験的に数カットだけ真っ白な部分を作って、そこまでやったら、自由にやっていいんだということが、やっと伝わったという。
余計なことはするな、という分業社会
河森 最初は、自由にやっていいということが若い子に伝わらない、ということが分からなかったんですよ。今の若い子たちは、どうして 自分たちの頃みたいに、好き勝手をやらないんだろうな、と思っていたんですね。僕らの世代は「やるな」と言われたって隠れてやっていたし、勝手にやるのが 当たり前だったんですけれども。
だから、若い子にも言ったんです。とにかく自由にしていいんだからと。ただ、自由にしていいんだけれども、この作品の全体の意図と流れは読まなければいけないよ、と。そういう話をするんですけど、全体の流れを読めないんですよね。
—— 自由にやって欲しいけれど、全体の流れは読まなければならない……これは結構難しいオーダーかもしれませんね。
河森 本当に自由にやるためには、作品全体の意図を読まないとできないんですよ。
河森 アニメって、作画とか美術とか録音とか、細かいセクションごとに作業が分かれているから、全体を見なくても、自分の担当カットをただやるだけでも仕事としては完成はするんですね。
—— まさしく分業制の最たるもの。
河森 でも、各セクションが、作品全体を把握せずに、自分のカット分のことしか考えないでいたら、作品の持つメッセージがまったく伝わらなくなってしまう。
僕らの頃は、全体の流れを把握せざるを得ないやり方だったんですよね。当時の発注の仕方というのは、「何と何のデザインを発注しますから、コンテを全部読んでおいてください」というところから始まっていましたから。
コンテを全部読み込んで、作品全体の意図を把握して、どのシーンにどれくらいの自由度があるのかを探る。その上で、こちら側から提案をしていくという。そういうやり方が当たり前の時代だったので。
今は自分の守備範囲だけしか見ない癖が付いてしまっているなと思います。自分の担当するカットしか見ないから、作業の全工程を知らないし、関心を 持たない。知識としては知っていても、関心を持ってないから、「前のカットがこうだったから、今度は別の動きにしてみよう」とか、「この流れの中であれ ば、今までにない動きを入れても大丈夫だろう」みたいな感覚が育たないんですよね。
—— どうして自分の守備範囲だけしか見ない癖が付いたのだと思いますか。
河森 分業化が進み過ぎちゃっているんですよ。これは、若い人の責任じゃなくて、システムの問題ですよね。
最大効率を追求した結果、分業化が進んだ。望まれる人材というのも、そのセクションのことだけに特化して、最大速度で、最も正確にやる人を要求していった。
要するに、オートメーションのための機械になっていったという。余計なことをしないで、言われたことをやっていてくれればいいんだと。余計なことをするから遅れるんだという企業の論理になっていくわけですよ。
人材の側も、それをよしとしてしまう。「ほかのセクションのことを見るな」という教育を受けているから、全体を見ないんですよね。
—— そうなると、「勝手にやっていい」というのは、普通の会社の枠組みからすると、難しいことになりますね。どこの会社でも自由にやらせて くれるわけではない。オートメーションの機械であってくれという企業の意向を今の若い人は学習していますし、そこにいかに早く最適化するかを競いがちな時 代であるのかもしれません。
河森 自由にやるというのは、今の会社というシステムには合わないですからね。会社のシステムの方が、それを受容できるだけ太っ腹じゃないと。でも、それを受け入れないといつまでたっても「掛け算」にならない、ということは、大きなヒットは狙いにくい。
—— ということは?
河森 これからの時代に収益を狙うならば、ある程度は覚悟を決めねばならないと思うんです。
(次回に続く)