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<rss version="2.0"><channel><atom:link rel="hub" href="http://tumblr.superfeedr.com/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"/><description></description><title>kimama</title><generator>Tumblr (3.0; @already-taken)</generator><link>http://already-taken.tumblr.com/</link><item><title>"いま現在の状況よりも、僕はかなり前からGMの取締役会などで、「早く電子GM＝e-GMをつくれ」と言っていたんですよね。
　いまの日本でも同じことがあてはまるのではないか。優良企業の新たな成長は「第2」に..."</title><description>“&lt;p&gt;いま現在の状況よりも、僕はかなり前からGMの取締役会などで、「早く電子GM＝e-GMをつくれ」と言っていたんですよね。&lt;br/&gt;
　いまの日本でも同じことがあてはまるのではないか。優良企業の新たな成長は「第2」にある、と割り切ってみる。リクルートも「第2リクルート」をつくれば良い。ネットしか読まない人しか集めないとか、そういうようなトライアルをやってみた方がいいですよ。&lt;br/&gt;
　だって「日経ビジネスオンライン」も結局、紙に対してのアンチテーゼでやっているわけでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　——　いや。「アンチテーゼ」ではありませんよ（笑）、共存共栄のメディアです（笑）。しかし、「第2トヨタ」という発想は面白いですね。既存のものを活性化する前に、第2の創業的なもので始めるしかない。ゼロから本当につくるぐらいのプロセスを踏まないと。&lt;br/&gt;
　出井　そう。閉塞を打ち破るという意味では、ゼロからスタートするしかないわけですし、まずは旧体制のことなど考えずに、新しいビジネスを先に走らせてしまってやっておいて、徐々にこっちに本業がシフトしてしまうという、そういう方法がユニークだと思うんです。旧体制を抜本的に作り直すのは本当に難しいことで、企業でも一流であればある程これまでの蓄積が大きく、強くなり、変えるのが難しくなるんです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br/&gt;
　閉塞感が渦巻いている状況はほんとうに問題で、日本がインターネット分野でなぜこんなに乗り遅れているか、インターネットでどうしてなかなかいい会社が出てこないのか、という課題にも、この国の閉鎖性が表われている印象があります。&lt;br/&gt;
　例えば東京は20世紀型の都市としては世界に類を見ないきれいで効率的な都市ですが、それを作り変えて継ぎはぎで21世紀型の都市をつくるのは無駄が多過ぎる。むしろ「第2東京」をつくるぐらいの都市マネジメントというか、アーバン・マネジメントが必要だと思います。&lt;br/&gt;
　すべてをいっぺん見直すということをやることがポイントですよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　——　都市もビジネスも、もう一度、新しく創り直す。&lt;br/&gt;
　出井　あくまでも仮の話ですが、「第2東京」を千葉県の木更津から成田のあたりに建設してしまう。あそこはアクセスが非常によいエリアです。オリンピックよりも（笑）、あそこに新しい首都をつくる。水位が10メーター上がってもいいように、全部10メーターぐらい高く設計してしまう。&lt;br/&gt;
　で、福岡は「第2福岡」をつくれば、カリフォルニアみたいなユニークな街とビジネスが生まれるかもしれない。&lt;br/&gt;
　この考えを敷衍させると、もういっぺん公共事業を日本で始めることになります。それをNとか、Jとか社名がついている会社に頼む（笑）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今こそ「ゼロベース」で発想するタイミング&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　——　出井さんはソニーの時代も新しい会社を、このようにゼロベースから発想するスタイルで進めておられたのですか？&lt;br/&gt;
　出井　そうです。そしてそこから伸びてきたのは、プレイステーションのソニー・コンピュータ・エンタテインメントであり、インターネット事業をおこなうソネット・エンタテインメントでした。新しくつくったところが伸び、そしてそこに新たなビジネスドメインが生まれたわけです。今では、その新たなビジネスドメインを中心に、旧来の事業部が再編されつつある。&lt;br/&gt;
　つまり、古い人を変えようと無理してはいけない。古い人を温存しつつ、新しい人や分野を大きく伸ばすということを日本はやるべきだし、一番やりやすい考え方だと思うのです。&lt;/p&gt;”&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; - &lt;em&gt;&lt;a href="http://cm.my.yahoo.co.jp/"&gt;My Yahoo! - ニュース&lt;/a&gt;&lt;/em&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/213676065</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/213676065</guid><pubDate>Thu, 15 Oct 2009 19:52:00 +0900</pubDate></item><item><title>"渋井　確かにそうですよね。環境適応するために、自分自身が持っているリソース（資源）を駆使して生き延びていく、ということを動物はみなしています。そしてそれには感覚と知性の両方を使うことが求められます。..."</title><description>“渋井　確かにそうですよね。環境適応するために、自分自身が持っているリソース（資源）を駆使して生き延びていく、ということを動物はみなしています。そしてそれには感覚と知性の両方を使うことが求められます。 清野　アタマで考える理屈以前に、生き物としての感度がまず問われる、ということですか。 渋井　ええ。現代人は、資本主義というジャングルの中で、何とか生き延びていかねばならない。人間の欲望が動かすその世界は、脳がひねり出すロジックだけでは見切れませんから、その適応力はもしかしたら女性の方が強いと思います。”&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; - &lt;em&gt;&lt;a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090625/198612/"&gt;「あなたの夫は何故モノを捨てたがらないのか」：日経ビジネスオンライン&lt;/a&gt;&lt;/em&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/195436586</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/195436586</guid><pubDate>Thu, 24 Sep 2009 11:08:39 +0900</pubDate></item><item><title>"さらに野沢氏は、自然の生態系には普遍的な掟（ルール）があり、その自然法則とは何かを具体的に言えば、
「たすけあいですね。自分に都合のいいことは、人には悪いということですね。人のためになって喜ばれることで..."</title><description>“さらに野沢氏は、自然の生態系には普遍的な掟（ルール）があり、その自然法則とは何かを具体的に言えば、&lt;br/&gt;
「たすけあいですね。自分に都合のいいことは、人には悪いということですね。人のためになって喜ばれることです。相互扶助であり、共存共栄ですね。他人の犠牲において個人のみが栄えることは許されない」と答えている。”&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; - &lt;em&gt;&lt;a href="http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/news/tape02.htm"&gt;main&lt;/a&gt;&lt;/em&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/186833481</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/186833481</guid><pubDate>Sun, 13 Sep 2009 19:39:45 +0900</pubDate></item><item><title>"「だから、人間の場合、心の持ち方いかんが環境になってくるんですね。幸福であることも、健康であることも、全部心から出発しているんです。環境が絶対いいからといっても、環境と個体の生命とは相互作用していますか..."</title><description>“「だから、人間の場合、心の持ち方いかんが環境になってくるんですね。幸福であることも、健康であることも、全部心から出発しているんです。環境が絶対いいからといっても、環境と個体の生命とは相互作用していますから、心の持ち方によって、この環境がいいと解釈すれば、それをいい環境としてとらえます。ある人をいやな野郎だと思っていると、その人がいいことを言っても、それを否定してしまいますね。また、難しい環境や問題を人から与えられても、それを乗り越えることによって、自分の能力が磨かれるんだというふうに考えたとき、それは非常にありがたい環境に変わってきます。環境の良否に絶対性は一つもないわけです。自分の心が環境の良し悪しを決めるんですから」”&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; - &lt;em&gt;&lt;a href="http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/news/tape02.htm"&gt;main&lt;/a&gt;&lt;/em&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/186833431</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/186833431</guid><pubDate>Sun, 13 Sep 2009 19:39:35 +0900</pubDate></item><item><title>"　かつてに比べて賢くなった消費者がいまや求めているのは、「価格」と「価値」とのほどよいバランス、つまりは「値頃感」だ。しかも時や場所に応じたメリハリの利いたお金のかけ方にも長けている。それらのどこにセグ..."</title><description>“　かつてに比べて賢くなった消費者がいまや求めているのは、「価格」と「価値」とのほどよいバランス、つまりは「値頃感」だ。しかも時や場所に応じたメリハリの利いたお金のかけ方にも長けている。それらのどこにセグメントするかでブランドの盛衰が決まるのが今日といえるだろう。単に不況の影響というだけではなく、1人のデザイナーの個性や感性に大きく依存した高級ブランドは、今後ますます生き残りが難しくなるのかもしれない。”&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; - &lt;em&gt;&lt;a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090803/201652/?P=2"&gt;【スクープ】ヨウジヤマモト、身売りを検討：日経ビジネスオンライン&lt;/a&gt;&lt;/em&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/186515903</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/186515903</guid><pubDate>Sun, 13 Sep 2009 10:08:37 +0900</pubDate></item><item><title>"「われわれが人生の意味を問うのではなく、われわれ自身が人生の意味を問われているのであり、答える責任があるのだ」（ヴィクトール・フランクル『夜と霧』"</title><description>“「われわれが人生の意味を問うのではなく、われわれ自身が人生の意味を問われているのであり、答える責任があるのだ」（ヴィクトール・フランクル『夜と霧』”&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; - &lt;em&gt;&lt;a href="http://jibun.atmarkit.co.jp/lskill01/rensai/cri-think/think01.html"&gt;「問題解決力」を高める思考スキル（1）&lt;/a&gt;&lt;/em&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/182440676</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/182440676</guid><pubDate>Tue, 08 Sep 2009 10:42:34 +0900</pubDate></item><item><title>"仕事ができる、というだけでトップになる人は少なくない。だが、トップになるということは、社員を大切に思う気持ちとそのメッセージを送り続ける責任を担うことだ。どんなに仕事ができても、「それができないトップは..."</title><description>“仕事ができる、というだけでトップになる人は少なくない。だが、トップになるということは、社員を大切に思う気持ちとそのメッセージを送り続ける責任を担うことだ。どんなに仕事ができても、「それができないトップは失格だ」とわかっている人は、どれだけいるのだろうか。 　社員を大切にしなくてもトップにはなれる。でも、そんな会社の将来は明るくない。だが、まずはどんな時にも一貫した態度で社員に接し、社員に安心感を持たせることができる会社は、絶対に強い。だって、会社を支えるのは、トップではなく、そこで働く社員たち、そのものだからである。”&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; - &lt;em&gt;&lt;a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090831/203840/?P=4"&gt;「社員は“家族”です」の嘘っぱち：日経ビジネスオンライン&lt;/a&gt;&lt;/em&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/178477852</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/178477852</guid><pubDate>Thu, 03 Sep 2009 12:17:15 +0900</pubDate></item><item><title>"人間にとって、最もやっかいな感情は「不安」だ。
　不安には、生きる力を弱める働きがある。特に先行きの見えない不安は、マイナス方向にひっぱる最悪な感情だ。一方で、「安心」は、人間の能力を最大限に引き出し、..."</title><description>“人間にとって、最もやっかいな感情は「不安」だ。&lt;br/&gt;
　不安には、生きる力を弱める働きがある。特に先行きの見えない不安は、マイナス方向にひっぱる最悪な感情だ。一方で、「安心」は、人間の能力を最大限に引き出し、困難に立ち向かう前向きなエネルギーとなる。”&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; - &lt;em&gt;&lt;a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090831/203840/?P=2"&gt;「社員は“家族”です」の嘘っぱち：日経ビジネスオンライン&lt;/a&gt;&lt;/em&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/178449283</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/178449283</guid><pubDate>Thu, 03 Sep 2009 11:40:31 +0900</pubDate></item><item><title>なぜ20代の若者は自民党を支持するのか。</title><description>&lt;p&gt;で最近の選挙で常に自民党や与党系候補を支持する傾向の強い20代をキモいとコメントしたら、さすがにお叱りを受けた。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;確かに今回の補選でも他の世代より自民党候補への投票が多かっただけで数の上では、50％に満たないわわけだし、誰に投票しようと、どの政党に投票しようが、それを批判してはいけないことだ。不適切な発言えあったとこの場を借りて謝罪したい。 　お叱りをいただいた、&lt;a href="http://d.hatena.ne.jp/synonymous/"&gt;id:synonymous&lt;/a&gt; さん曰く「20代は小泉旋風の中で自己を確立したから、その中でも政治意識が強い層で自民党支持が強いのもわかる気がする。」と言っている。私は始めて選挙権を得た時の選挙が宮沢内閣が崩壊し&lt;a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%ba%d9%c0%ee%c0%af%b8%a2" class="keyword"&gt;細川政権&lt;/a&gt;が樹立した時の選挙で、自民党政権が音を立ててくずれた瞬間に強烈な快感を享受して、未だに自民党政治を終わらすことが是であるという神話を信じているフシがある。始めての選挙のインプレッションは強烈である。郵政選挙で小泉自民党が圧勝するシーンを強烈に快感と感じた世代は、それを暫く引きずるのは理解できるし、自民党がすっかり&lt;a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%be%ae%c0%f4%bb%fe%c2%e5" class="keyword"&gt;小泉時代&lt;/a&gt;から変質してしまっても、なかなか期待を捨てきれないというのも理解できる。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　20代が自民党或いは与党系候補者を支持する理由として他に２つの仮説がある、一つはいわゆる失われた世代の反団塊・反労組・反サヨク・反&lt;a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%cc%b1%bc%e7%c5%de" class="keyword"&gt;民主党&lt;/a&gt;感情である。これは昨日の朝生ネタでも触れた通り、&lt;a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c5%c4%b8%b6%c1%ed%b0%ec%cf%af" class="keyword"&gt;田原総一朗&lt;/a&gt;の常套の煽り文句として知られる。団塊世代が既得権益を保持している煽りを若者が受け、それに&lt;a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%cf%ab%c6%af%c1%c8%b9%e7" class="keyword"&gt;労働組合&lt;/a&gt;が加担し、その支持を受けているのが民主党だというお話だ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;私も20代の頃はネオリベ被れで、働かない中高年社員はどんどんリストラしろと思っていたので気持ちはわからなくもない。ただ私が20代の頃は自民党より&lt;a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%b7%bc%ab%cd%b3%bc%e7%b5%c1" class="keyword"&gt;新自由主義&lt;/a&gt;色の強い野党が存在し、ちょうど自民党に新自由主義のボールが渡った頃には、新自由主義に疑問を持つようになっていたので、たまたま自民党支持にならなかったが、もう少し醒めるのが遅ければ私も自民党支持者になっていたかも知れない。確かに初期の&lt;a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%be%ae%c0%f4%c0%af%bc%a3" class="keyword"&gt;小泉政治&lt;/a&gt;には私も親和的だったが、候補者がたまたま土建屋丸出しで酷かったので自民党には入れなかったという経験がある。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　ただどうであろう。新自由主義は中高年を苛めてくれるのでせいせいはするが、決して若者にチャンスを与えてくれる訳ではないことに、ほとんどの人が気づいているのではないか？それに公務員や&lt;a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c3%c4%b2%f4%a4%ce%c0%a4%c2%e5" class="keyword"&gt;団塊の世代&lt;/a&gt;を悪者に仕立て上げて、弱者の不満の矛先を向けさせることにより、本当の既得権者を守る。つまり下層民の不満を中間層に向けさせ、上流階級は雲の上で胡坐をかくという為政者の嫌らしさに多くの人が気づいている。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それに今の自民党は小泉時代とはすっかり性格がかわって、守旧派が闊歩する既得権益を代表する政党に先祖帰りしている。今の自民党を支持する理由として、上記の説明はもはや不適切である。それでもなお自民党を支持する若者が多いのは、先述した小泉時代の遺産か、後述する理由が考えられる。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ただ時たま、大阪府の&lt;a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b6%b6%b2%bc%c3%ce%bb%f6" class="keyword"&gt;橋下知事&lt;/a&gt;のような小泉時代の幻影のような候補者が出てくると、若者の支持は一点に集まる。この辺は留意した方がいい。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　もう一つは、なんやかんや依存する先がある人が自民党を支持するという説である。つまり就職しても親から小遣いをもらっている人。扶養されることに慣れきった専業主婦、子供に扶養されている高齢者などで自民党の支持率が高いという説である。確かに就職しても親から小遣いをもらっている人も多い20代で極めて自民党支持が高かったり、高齢者で自民党支持が高いというのはその通りなのだが、専業主婦よりキャリア志向の女性で自民党支持が強いという調査もあり、この辺はやや疑問のある仮説である。&lt;/p&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/172663192</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/172663192</guid><pubDate>Thu, 27 Aug 2009 12:50:01 +0900</pubDate></item><item><title>"自民党支持のネット世代の執拗な民主党批判

ネット世代で自民党を支持している連中は 民主党が嫌いだから自民党を支持している ことが多いと思う。在日だとか批判するが..."</title><description>“&lt;p&gt;自民党支持のネット世代の執拗な民主党批判&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ネット世代で自民党を支持している連中は 民主党が嫌いだから自民党を支持している ことが多いと思う。在日だとか批判するが 公明党との連立からは目を背けるいい加減 さとは何だろうか。無論民主党も未熟だが 自民党を支持する理由がよく分からん。&lt;/p&gt;”</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/172657905</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/172657905</guid><pubDate>Thu, 27 Aug 2009 12:43:20 +0900</pubDate></item><item><title>"米国の近代をふり返ってみると、1929年に大恐慌が起こったが、この頃のもっとも富裕層にかかる税率は24％程度だったが、33年には公共投資を実施するために、最高税率を67％に引き上げられている。

　ここ..."</title><description>“&lt;p&gt;米国の近代をふり返ってみると、1929年に大恐慌が起こったが、この頃のもっとも富裕層にかかる税率は24％程度だったが、33年には公共投資を実施するために、最高税率を67％に引き上げられている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ここで経済格差が小さくなったのだが、戦争による特需もあり、景気は大きく回復することになった。最高税率を上げたおかげで、一般市民の消費性向が増して、テレビや冷蔵庫、洗濯機、自動車などが売れて、各関連企業が空前の利益を上げたのだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　つまり貧富の格差が小さく、総中流化した社会のほうが、商品が売れて経済が活性化するということだ。心理学的に見ても、貧富の差が小さい社会のほうが、労働意欲がわき、実績も上がりやすい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　日本でもほんの十数年前までは累進課税が厳しく、会社員の間でも、部長と平社員の給料の差はほんの数万円程度しかなったが、労働意欲は旺盛であった。マラソンでも前方を走る人の背中が見えれば、ますますやる気が出て、追いつき追い越そうと真剣になるものである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それが、貧富の差が開き、年収にも100倍以上の差ができれば、労働意欲や上昇志向が減退して、いまのままの地位で休暇を取ったり、趣味に時間を割いたほうが楽しいという具合になりかねない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　中には、100倍、1000倍の競争率でも生き残って、ITや金融関連事業で成功者になり、何百億円の資産を手に入れる人もいるが、それは極めて稀な例である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そのために、詐欺的な手法を用いたり、脱税まがいの会計手法を使ったり、非合法な企業経営に手を染めることになりかねない。&lt;/p&gt;”</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/172637835</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/172637835</guid><pubDate>Thu, 27 Aug 2009 12:17:16 +0900</pubDate></item><item><title>"今、僕たちは、問いには答えが返ってくるという環境に慣らされているわけです。現代社会では、その答えさえも、シンプルな○×式になってしまっている。これはやっていいことなのかいけないことなのか、一刻も早く答え..."</title><description>“今、僕たちは、問いには答えが返ってくるという環境に慣らされているわけです。現代社会では、その答えさえも、シンプルな○×式になってしまっている。これはやっていいことなのかいけないことなのか、一刻も早く答えを見つけ出さなきゃいけないと強く思い過ぎてしまっていて、自分で「これは○ではない、なぜならば・・・」と考えたり、実際にトライをするという試行錯誤の過程をすっ飛ばして、誰かに正解を答えてもらうことが当たり前になっている。もっといっちゃえば、「正解がある」ということが、無前提に信じられてしまっている。”&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; - &lt;em&gt;&lt;a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090817/202618/?P=2"&gt;新人が自分で育つ組織を「開き直り」で作り出せ！：日経ビジネスオンライン&lt;/a&gt;&lt;/em&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/172022684</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/172022684</guid><pubDate>Wed, 26 Aug 2009 18:40:42 +0900</pubDate></item><item><title>"前に「クリエイティブな組織にはルールが絶対な人を入れない」とは言いましたけど、これもね、僕がルールというもの自体を嫌っているから、強く反応しているのだと思うんですよ。

　でも、当たり前ですがルールなし..."</title><description>“&lt;p&gt;前に「クリエイティブな組織にはルールが絶対な人を入れない」とは言いましたけど、これもね、僕がルールというもの自体を嫌っているから、強く反応しているのだと思うんですよ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　でも、当たり前ですがルールなしには会社も経済も動きません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　現代社会がすでにルール社会ではあるわけで、作品を作るにしても、創造のカオス状態からスタートしても、最後のアウトプットには、ルールが必要なんですね。納期であり、目標値であり、予算に対するペイラインでありという。だから最後のアウトプットのエリアに近いところに、ルールが好きな人を配置すればいいんだなと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「作品」を「商品」にするための軌道修正をかけるときには、ルールが大事だと思っている人とペアを組む。もしくは、最初からチームを組んで、製品化なり、メディア化していくといいんじゃないかという。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　以前は自分の中で、ルールというものに対して、「自由な思考を押さえつけるもの」みたいな偏見があったんですけれども、何でも自由にすればうまくいくわけでもないという。現代社会との適用性としてのルールの大事さが、やっとわかってきたんですよね、あらためてですけどね。&lt;/p&gt;”&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; - &lt;em&gt;&lt;a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090731/201491/?P=5"&gt;中核から離されたら、ラッキーと思え：日経ビジネスオンライン&lt;/a&gt;&lt;/em&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/171882743</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/171882743</guid><pubDate>Wed, 26 Aug 2009 13:58:02 +0900</pubDate></item><item><title>"——　でも社員は、管理がないと不安になりもしますよね。ああ、自分は管理の手を離れてしまったんだ、と思うと。..."</title><description>“——　でも社員は、管理がないと不安になりもしますよね。ああ、自分は管理の手を離れてしまったんだ、と思うと。 河森　そうです。それは日本の教育が、人を管理しやすいようにセッティングされているから。でも、本社に対して忠誠を尽くさないと社員が出ていってしまうという魅力のない会社をつくったのが失敗のもとなわけであって、会社に魅力がなければ出ていけばいいのであって、社員も流動したっていいんですよね。”&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; - &lt;em&gt;&lt;a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090731/201491/?P=4"&gt;中核から離されたら、ラッキーと思え：日経ビジネスオンライン&lt;/a&gt;&lt;/em&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/171877300</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/171877300</guid><pubDate>Wed, 26 Aug 2009 13:49:53 +0900</pubDate></item><item><title>"「あ、これでいいんだ、価値観ってこんなにも多様でいいんじゃん」"</title><description>“「あ、これでいいんだ、価値観ってこんなにも多様でいいんじゃん」”&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; - &lt;em&gt;&lt;a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090731/201491/?P=2"&gt;中核から離されたら、ラッキーと思え：日経ビジネスオンライン&lt;/a&gt;&lt;/em&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/171872919</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/171872919</guid><pubDate>Wed, 26 Aug 2009 13:44:19 +0900</pubDate></item><item><title>"業績を上げろと言われて、数字に対して数字で対応したらば、その数字の評価しかこないんだけど、そうじゃなくて、こいつは役に立つんだという主張をできるようなところで工夫をするというか。..."</title><description>“業績を上げろと言われて、数字に対して数字で対応したらば、その数字の評価しかこないんだけど、そうじゃなくて、こいつは役に立つんだという主張をできるようなところで工夫をするというか。 　「もし、自分がその上司の立場だったら、どんな仕事をしたら部下を認めるだろう」というところに視点を変えてみるとか。要するに、視点の切り替えですよね。「会社は俺に何もしてくれない」じゃなくて、「会社のために俺はこんなことができるんだけど」というのは有効だと思います。”&lt;br/&gt;&lt;br/&gt; - &lt;em&gt;&lt;a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090731/201491/"&gt;中核から離されたら、ラッキーと思え：日経ビジネスオンライン&lt;/a&gt;&lt;/em&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/171867243</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/171867243</guid><pubDate>Wed, 26 Aug 2009 13:37:10 +0900</pubDate></item><item><title>「検証・民主党政権で日本はどう変わるのか」第６回</title><description>&lt;p&gt;2009年8月18日&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　&lt;a href="http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/media/videonews/index.html"&gt;ビデオニュース・ドットコム&lt;/a&gt; 霞が関の権益を引き剥がせるか？ &lt;br/&gt;政権の試金石「学校理事会」という爆弾&lt;br/&gt;（ジャーナリスト　神保哲生）&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　民主党が政権を獲得した場合、それが実効性のある政権になるかどうかを占う上で、重要な試金石になると思われる政策がある。それは民主党が教育改革の一環として導入を主張している「学校理事会」という制度だ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　民主党のマニフェストには「公立小中学校は、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する『学校理事会』が運営することにより、保護者と学校と地域の信頼関係を深める。」としか書かれていないので、これがそれほど重大な政策のようには思われていなくても不思議はない。しかし、どうしてどうして、この学校理事会こそ、民主党政権のテーマが満載された象徴的な政策と言っても過言ではない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;なぜならば、民主党の考える学校理事会制度とは、中央官庁の権益を丸ごと引き剥がし（既得権益の剥奪と霞が関の改革）、それを地方に移譲し（地方分権）、地域が独自の判断で学校を運営できるようにする（フェアネス）と同時に、地域の住民を巻き込んで（市民参加）、学校という公的な機関を運営していこうというものだからだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　本連載の過去分をお読みいただければわかるように、既得権益の剥奪と霞が関の改革、地方分権、フェアネス、そして市民参加が、いずれも民主党の政策理念の要諦となっている。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　しかし、逆の見方をすれば、もし既得権益を持つ勢力の抵抗に遭って学校理事会の政策を実現できないとなると、民主党政権はおそらく他の分野でも立ち行かなくなっている可能性が高いことになる。いや、そもそもこれを実現できないとなると、民主党の政策理念自体が疑わしいものになってくる。一見地味ながら、それほどこの「学校理事会」は民主党政権にとってメルクマール的な意味を持つ政策と見られるのだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;画期的な学校理事会の中身&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　この学校理事会という制度は、中身を見れば見るほど大変な制度だ。それがマニフェストから伝わってこないのが残念だが、もしかすると民主党の政策担当者たちは、前回紹介した「メディア政策」と同じように、抵抗勢力を刺激することを避けるために、あえてマニフェストにはそこまで書き込まなかったのかもしれない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　学校理事会とは、単にこれまでのＰＴＡに毛が生えたような組織をつくろうという話ではない。民主党の政策集や過去に提出してきた法案の中身、文教政策担当者の発言などを総合すると、現在の日本の教育を牛耳ってきた文部科学省や教育委員会の権益を丸ごと引き剥がし、それを地方に移譲した上で、市民が参加する「学校理事会」に学校運営に関わるすべての権限を持たせるというものなのだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　学校理事会という組織自体は、学校関係者（校長、教頭、教員など）に加え、生徒の保護者、地域住民、教育関係者などからなり、学校ごとか、もしくは地域ごと（当初民主党が意図していた「地域」は人口30万人程度の基礎的自治体だったが、その後、地方分権政策は道州制に路線変更したため現時点では「地域」がどの程度の規模になるか不明）に設立されるという。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　これだけだと、現行のＰＴＡにちょっとスパイスを利かせた程度のものにしか見えない。しかし、そこに移譲される権限が、じつは大変な意味を持つ。学校理事会の設置に伴い、教科書検定や学習指導要領は事実上廃止され、さらには教員の採用から教科書の選定、カリキュラムの決定まで、事実上学校運営に関わるすべての権限を学校理事会が持つことになるというのだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　もともと民主党は高校無償化や大学向け奨学金の拡充などを提唱し、教育機会の均等の実現にはことさら力を入れている。また、地方分権は民主党が一貫して主張してきた政策でもあるし、民主党が目指す霞が関解体における切り札的政策でもある。霞が関の権益という意味では、戦前の旧内務省から分かれた文科省は、その最も奥座敷にある存在と言っても過言ではない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　現在、カリキュラムを含む公立小中学校の運営に関する決定は、都道府県および市町村の教育委員会が行っている。だが実際は、学習指導要領などを通じて、中央政府である文部科学省の意向が全国隅々まで行き渡っていると言われる。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　また、全国の小中学校で使う教科書の検定も文科省のもとで行われるため、北海道から沖縄まで日本のすべての小中学校は、東京にある文科省が認めた教科書を使わなければならない。沖縄では2月、北海道では5月に咲く桜が、日本中の教科書で一律に4月に咲く花となっているのは、すべての教科書が東京を基準に決められているからだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　学校理事会制度が導入されれば、現在、文科省が持つ小中学校に対する権限は事実上すべて学校理事会に取って代わられることになる。そのなかには、学習指導要領で子細にわたりカリキュラムを縛る権限も、教育委員会や教科書検定委員会を通じて行われている教員の採用や学校施設の管理、そして教科書を選定する権限も含まれる。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　つまり、この制度が民主党の意図するとおりに機能すれば、全国の公立の小中学校は、中央からの一律のコントロールから解放され、地域の伝統や歴史、風土や特色に合った独自の教科書を選び、独自のカリキュラム、つまり科目の選定と授業内容や授業の時間割を組めるようになる。教育委員会が行っている教員の採用も学校理事会に移譲されるので、地域ごとに地元の出身者を優先的に採用したり、特定の科目の教員を重点的に雇ったりすることもできる。これらが実現すれば、現行の全国一律の教育が、より地域の特色を活かしたものに生まれ変わる可能性は高い。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　また、いじめや非行、学級崩壊といった今日の学校が抱えるさまざまな問題も、各学校と物理的にも精神的にも至近距離にある学校理事会が対応することになる。となれば、地域の実情に合った、よりきめ細かな対応も可能になるだろう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;市民参加がなければ単なる画に描いた餅&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　しかし一方で、仮にこのような制度ができたとしても、地域住民が積極的に参加しなければ、一部の「うるさ方」や「地元のボス」のような人たちが学校理事会を牛耳り、個人の価値観を押しつけたり、偏った教育が行われたりすることにもなりかねない。そもそも地域住民が積極的に参加し、監視しなければ、学校理事会のメンバーの選考自体が、公正なものになるかどうか怪しくなってくる。参加する市民が嫌々だったり、形だけの参加になれば、制度自体が宝の持ち腐れになる可能性もあるし、文科省の一律管理の時代よりももっと悪くなる可能性だって否定できない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　また、文科省が担保していた「全国一律」がなくなることで、地域の特色や地域ニーズが教育に反映されることはプラス面かもしれないが、その反面、教育の地域格差や偏りが出てくる可能性も否定できない。それはそれで、市場原理を導入して地域ごとに教育レベルを競わせればいいという考えもあるだろう。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　だが、全国テストの結果発表をめぐり揉めた事例に見られるように、教育と市場原理は必ずしも相性がいいとは言えない。これまで、極端な標準化を図ろうとする文科省の一律管理のもとでやってきた教育関係者や保護者が、ある日突然地域色の濃い教育を受け入れられるかどうかにも一抹の不安が残る。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　学校理事会制度は、やり方次第では霞が関権益の引き剥がしという意味でも、地方分権という意味でも、また教育の活性化という意味でも、大化けする可能性はある。しかし、失敗すれば、中央の軛から解放されたことが逆に仇となり、地域が暴走してしまう可能性もある。何年か後になって、いろいろ問題はあっても文科省の一律管理の時代のほうがまだましだったということになりかねない、「ハイリスク・ハイリターン」の政策と言えるのかもしれない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;民主党政権の成否を握る「市民参加」&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　民主党の主張する学校理事会制度がハイリスクな政策になっている理由は、いたって明快だ。それは日本では政治や行政に市民が参加する「市民参加」の歴史や伝統がまだ弱いからだ。これまで霞が関に任せきっておけばよかった時代の残滓と言えばそれまでだが、民主党が官僚支配の打破を謳っているのは、今となっては誰もが知っているはずだ。ということは、民主党政権では霞が関に代わって誰が意思決定をするのかをよく考えおく必要がある。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　今回の選挙では「今回は一度民主党にまかせてみるか」という話を耳にする。政権交代がなかったことが日本の政治の最大の問題点の1つであることは間違いないので、それ自体は意味のある考え方だとは思う。しかし、民主党の政策を見る限り、民主党が「まかせる」対象でないことは最低限知っておく必要がある。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　たしかに、法律をつくったり制度の大枠を決めるのは、政治の仕事だ。しかし、いったん法律や制度ができ、その運用段階になれば、民主党政権の場合、そこには政治は入ってこない。学校理事会がその典型だ。法律で文科省の権限を移譲し、地域ごとの学校理事会に一定の予算をつけるところまでは政治の仕事だ。しかし、地域ごとの学校理事会がどのように運営されるかは、もはや政治がコントロールできる領域ではない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　前回まで繰り返し強調してきたように、民主党が掲げる政策は、どれを取ってもより多くの市民参加がなければ成り立たないものばかりだ。官僚のコントロールを切ることを最大の眼目とする同党の政策が、もし市民参加のないまま実行されようものなら、それこそ大変なことになる。これまで運転をまかせてきた霞が関に代わって誰がハンドルを握るのか。間違っても、政治家が運転してくれるなどと思ってはいけない。また、仮に政治家に運転させることがあるとしても、われわれ市民が教習所の教官のように、横から逐一その運転を監視していなければならない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　私自身はアメリカナイズされすぎているからかもしれないが、何の付託も受けていない行政が、私の行き先を勝手におもんぱかって運転する車になど、怖くてとても黙って乗ってはいられない。彼らの良心を信用していないのではなく、制度がその信用を担保していないことを知っているからだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　かといって、政治家がハンドルを握る車に黙って乗っているのも怖くてしかたがない。どちらかというと、政治の役割は自動車が安全かつスムーズに流れるために道路を整備し、道路標識や信号を設置するところまでにしてもらい（政治の決定に従い、実際の舗装作業や標識を付ける作業を行政がやる）、自分の車の運転は市民一人ひとりがハンドルを握る仕組みのほうがしっくりくる。ＮＰＯなどの市民セクターが運転するバンやワゴンサービスもたくさんあったほうがいい。ただし、そのためにはまずは市民一人ひとりが運転を覚えないと話にならないことは、言うまでもない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　市民参加を前提とする民主党の政策が、市民不在のまま実行されれば、もはや官僚に権限を持たせない以上、誰も明確な意思決定をしないまま、物事が決まっていくことになる。そうなれば、大混乱は必至だ。あげくの果てに、自分たちで意思決定することの負担に耐えかねて、「これまでどおり、行政が良い塩梅で決めてくれ」などと、泣き言を言い出す人や自治体が出てくるかもしれない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　また、情報公開を徹底し市民参加の機会を増やす民主党型の統治形態のもとでは、意思決定に参加しない人は、法律の執行や制度の運用が、自分の意思のインプット無しで行われることになる。官僚に任せていたときは、それが民意を反映していたかどうかはともかく、一応は行政がすべての住民の利益を考えて決定をしてくれていた。だが、官僚のコントロールが無くなる以上、頼みもしないのに自分の利益を代弁してくれる人など、どこにもいない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　もちろん、参加するかしないかはそれぞれの勝手だが、参加しなければ損をする可能性が大きいということだ。もっとも、頼みもしないのに誰かがあなたの利害をおもんぱかってくれるのが当たり前だったことのほうが、むしろ特殊な時代の産物だったと言うべきなのかもしれないが。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　民主党の政策には、行政より市民、霞が関の中央官庁より地方自治体、東京より地域への権限委譲を伴うものが圧倒的に多い。そして、民主党はそれを情報公開の徹底により本気で実現しようとしているように筆者には見える。言い換えればそれは、市民の自立（そして自律）と自治に大きな信頼を置く政策だ。そうした政策が実施されたとき、もし最も基本的な単位である市民側に意識も覚悟もなければ、民主党政権は大失敗に終わる可能性がある。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　現に、民主主義の伝統が弱い旧共産圏や途上国のなかには、急速に民主主義を導入してみたものの、結局それでは社会がうまく回らず、時計の針を戻すように市民の権利を制限する方向に軌道修正するケースが少なからず出ている。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　はたして日本の民度は、民主党の政策が提唱しているような市民参加を前提とする政治を支えられるレベルに達しているのか。それとも、まだまだ霞が関官僚に意思決定の部分まで依存しなければ、国の運営など到底できないレベルなのか。われわれはその答えをまもなく目の当たりにすることになるだろう。言うまでもないが、その答えを出すのは民主党ではなく、われわれ自身にほかならない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;最後に&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;短期集中連載でお送りしてきたこの「民主党政権で日本はどう変わるか」は今回をもって終了となる。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　公職選挙法で、選挙公示後のインターネットのウェブページの書き込みは、選挙ビラやチラシと同じ「図画の頒布」に当たると判断されるため、公示後に特定の政党について文章が書かれたページを更新する行為は、法に抵触する可能性があるからだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　公示前の記事をそのまま出しておくのはかまわないが、ページを更新すると罪になるというのは、前時代的で不可解な法解釈ではあるが、公職選挙法の解釈で幅広い裁量権を持つ総務省がそう言うのだから仕方がない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　余談になるが、民主党のマニフェストには「インターネット選挙の解禁」が明記されている。つまり、今回の選挙で民主党政権が実現すれば、その次の選挙は投票日直前までウェブに新規記事を掲載することが可能になるはずだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　民主党の政策を過去のマニフェストから政策インデックス、提出法案、そして党幹部や政策担当者の発言などを全部ひっくり返して検証してきた身としては、本連載におけるわずか6回の原稿ではなかなかその全貌をお伝えすることができず、やや心残りな面もある。民主党についてより詳しいことを知りたい方は、ぜひ拙著『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるのか？』を投票前にご一読いただければ幸いだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　同書は民主党が主張してきた政策のなかから、筆者が重要と考えた99の政策を抜き出して解説したものだ。もちろん投票前に読んでいただくことを想定してはいるが、実は同書は民主党政権ができた後に本領を発揮することを期待して書いたものでもある。民主党が政権についた暁には、われわれ有権者は、同党が野党時代に主張し推進してきた政策の実現を迫る権利があるし、迫る義務があるはずだ。その際のアンチョコとして、あるいは備忘録として、ぜひ活用していただきたいというのが同書のもう一つの重要な意図なのだ。筆者はこれを勝手に、「民主党と市民社会の契約書」と呼んでいる。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　いずれにせよ、民主党がこれまで主張してきた政策については、拙著に含まれていようがいまいが、マニフェストに含まれていようがいまいが、同党が政権を獲得した際には、市民社会との契約としてその履行を皆で迫っていこうではないか。そうすることが、この選挙で政権交代が実現したとき、それを意味あるものにする最も有効な手段に他ならないのだから。&lt;br/&gt;　&lt;/p&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/171850307</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/171850307</guid><pubDate>Wed, 26 Aug 2009 13:15:00 +0900</pubDate></item><item><title>「検証・民主党政権で日本はどう変わるのか」第５回</title><description>&lt;p&gt;2009年8月15日　&lt;a href="http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/media/videonews/index.html"&gt;ビデオニュース・ドットコム&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;大手メディアが決して報じない、 &lt;br/&gt;「メディア改革」という重要政策の中身&lt;br/&gt;（ジャーナリスト　神保哲生）&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;・政府の記者会見をすべてのメディアに開放し、既存のマスメディアの記者クラブ権益を剥奪する。&lt;br/&gt;・クロスメディア（新聞社とテレビ局の系列化）のあり方を見直す。&lt;br/&gt;・日本版ＦＣＣ（米連邦通信委員会のように行政から独立した通信・放送委員会）を設立し、放送免許の付与権限を総務省から切り離す。&lt;br/&gt;・ＮＨＫの放送波の削減を検討する・・・等々&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　これらの政策はいずれもマニフェストには載っていないが、民主党の正式な政策だ。記者会見の開放はマニフェスト発表の記者会見で鳩山由紀夫代表自身がはっきりと明言しているし、その他はすべて『民主党政策集INDEX2009』に明記されている。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　お読みいただければわかるように、民主党政権では、マスメディア自身が主たる既得権益者として改革の対象となっている。そして、不思議なことにその事実はまだほとんどの人に知られていない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;メディア改革は民主党の主要政策の一部&lt;/p&gt;
　知られていない理由は、大手マスメディアが民主党のメディア政策をまったくと言っていいほど取り上げようとしないからだ。これらの政策が自分たちに都合が悪いからなのか、それともこうした政策をそれほど重要とは考えていないからなのか、その真意は定かではない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　メディア政策は多くの有権者に影響が及ぶし、おそらく関心も高い、けっこう重要な政策だと筆者は思うのだが、どこのマスメディアもそれを良いとも悪いとも言わない。実に不思議なことだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　7月27日のマニフェスト発表の会見でのことだ。民主党がこれまで維持してきた「記者会見を記者クラブ以外のメディアに開放する」方針がマニフェストに入っていない理由を問うた筆者に対して、鳩山由紀夫代表は「マニフェストに入れるまでもないと考えた」とした上で、「民主党政権では記者会見はオープンにする」と、政権を取ってからも記者会見を開放する方針を貫く意思を明確に公言している。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　ところが、翌日の新聞やテレビで、この下りを報じたところは、筆者の知る限り、1つとしてなかった。各メディアとも、マニフェストの内容や記者会見のやりとりは相当のスペースや時間を割いて詳しく報じているにもかかわらず、である。全国紙やテレビといった大手マスメディアの報道のみを情報源とする方にとって、そのようなやりとりはこの世に存在しなかったことになっているに違いない。これは民主党が、現在の日本の最大のタブーに手を突っ込もうとしていることを意味するのだろうか。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　民主党はすでに2002年から、党が主催する記者会見は、記者クラブに所属する既存の大手マスメディアだけでなく、雑誌、海外メディア、ネットメディア、フリーランスなど、すべての報道関係者に開放している。また、小沢一郎氏以降の代表はいずれも、民主党が政権を取ったときは、政府の記者会見は開放することを公言している。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　実は民主党のこの方針は、岡田克也現幹事長がまだ幹事長代理の時分に、筆者からの進言（というより、「文句」と言ったほうがより正確かもしれないが）を受けて、まず手始めに外国報道機関に記者会見を開放したことに始まる。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　当時、民主党の記者会見に出席できるのは野党クラブ加盟の記者に限定されていた。岡田氏はまず自身の会見をオープンとし、その後、幹事長、代表と党の階段をのぼっていく間もその方針を貫いたために、氏が代表になった段階で、民主党の会見はすべてオープンとなった。また、その過程で、対象も外国報道機関から、雑誌やネットメディア、フリーランスを含むすべてのメディアへと広がっていった。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　前原、小沢、鳩山と岡田氏の後を継いだ代表たちもその方針を踏襲したので、今はそれが党の方針となった。ただし、その方針がマニフェストなどの文書に明記されているわけではないので、私のような非記者クラブ記者は、常に確認を求めていく必要があり、それがわれわれ非記者クラブ記者が、大きな節目の記者会見で毎回しつこくこの質問をし続ける理由でもある（最近はフリージャーナリストの上杉隆氏が、その役割を進んでやってくれているので、私ばかりが憎まれ役をやらなくてもすむようになった）。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;p&gt;なぜ記者会見の開放が重要なのか&lt;/p&gt;
　民主主義とフリープレス（報道の自由）を標榜する国で、記者会見への出席が特定の報道機関にしか認められていないことなど、そもそもあり得ないことだ。したがって、いまさら議論をするのも小っ恥ずかしいのだが、政府の記者会見がオープンになることの意味は大きい。記者会見が大手メディアの既得権益、つまり利権の温床ではなくなり、そうなることで、主要メディアと政治家や政党、主要官僚との間の談合が通用しなくなるからだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　過去半世紀にわたり、日本には新しい大手マスメディア（全国紙や全国ネットの放送局）が登場していない。そんな業界は他にないはずだ。そんな国も他にはないはずだ。そしてその最たる理由は、記者クラブ制度をはじめとするさまざまなメディア権益が、一部の主要メディアに独占されているためだ。長年権益を独占してきたメディア企業は、いまやいずれも巨大なコングロマリットとして君臨している。日本のメディア市場に新規参入する事業者は、それらの権益なしで、巨大ライバルに立ち向かわなければならない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　しかし、記者会見の開放には、大手マスメディアから既得権益を剥奪する以上の重要な意味がある。それは記者会見というものが、ジャーナリズムが基本的な機能を果たす上で、必須の要素だからだ。会見がオープンになれば、記者は政治家に何を聞いてもよくなる。厳しい質問をして政治家や党職員から嫌われても、オープンである以上、記者会見から排除される心配をしなくていいからだ。そのため記者会見が真剣勝負の場となる。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　夜討ち朝駆け等々、日本のメディア固有の密室談合に参加して、記事にできないインサイド情報をもらい、酒の席でそれを披瀝して悦に入るか、何でも聞けるし何でも書けるが、談合の輪には入れてもらえない記者となる道を選ぶかは、それぞれの記者の判断になる。要するに、オープンにすることでやっと記者会見が国際標準になるのだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　ところで、やや話が横道に逸れることをお許しいただければ、記者会見の開放をより実効性のあるものにするために、民主党にはもう1つやるべきことがある。それが、番記者懇談など会見以外の形で政治家と記者が日常的に接触する制度を廃止することだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　残念ながら、民主党はまだ党の主要幹部と記者クラブ加盟社の記者との間の番記者懇談を毎日のように実施している。せっかく記者会見をオープンにしても、そのような制度があれば、会見で厳しい質問をする記者や、党やその政治家に不都合な記事を書く記者に対しては、そうした一見非公式の形をとった（実は公式な）場から外すなど、懲罰的な処遇が可能となってしまう。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　本来、大臣や副大臣など行政の長となった政治家は公務員法に縛られるはずなので、そうした地位にある政治家が、行政の長として知り得た情報を特定の報道関係者を選別して提供する行為は、公務員法の守秘義務や中立性原則に反するものだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　日本の大手新聞社やテレビ局の記者が、夜討ち朝駆けこそがジャーナリズムの神髄であるかのようなことを得意顔で話すのをよく見かけるが、そもそも政治家や公務員が特定のメディアのみに公務員として知り得た情報を提供する行為は、他の国と同様、日本でも違法行為なのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;p&gt;メディアの構造問題と「やれるものならやってみろ」&lt;/p&gt;
　記者クラブの開放を党代表が明言する一方、『民主党政策集INDEX2009』には、冒頭で挙げたように、クロスメディア（新聞社とテレビ局の系列化）の見直しや、日本版ＦＣＣ（行政から独立した通信・放送委員会）の設立と総務省からの放送免許付与権限の剥奪、ＮＨＫの放送波の削減といった、メディアの世界における言わば「聖域」に踏み込んだ政策提言が続々と登場する。これらはいずれも自民党政権下では、ほとんど手つかずだった問題だ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　筆者は日本のメディア業界がこうした構造的な問題を抱え、そのために国際競争力をつけることに失敗しているばかりか、ジャーナリズムの公共的な機能さえも果たせなくなっていることを、機会あるごとに指摘してきた（詳細については拙著『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか？』の第18章を参照されたい）。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　特に「記者クラブ」、「クロスオーナーシップ」（新聞とテレビの業際保有の英語表現。民主党は「クロスメディア」と表現しているが意味は同じ）、「再販売価格維持制度」（メーカーの定めた定価での販売を小売業者に義務付ける制度。日本では独占禁止法で原則禁止されているが、例外として新聞や書籍などに認められている）のメディア特権3点セットが、産業としての、そしてジャーナリズム機関としてのメディア業界をダメにしているとして、メディアの構造改革の必要性を訴えてきた。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　最近筆者はこれに、政府が放送免許を直接付与する制度を改めるための「日本版ＦＣＣ＝独立行政委員会」問題を加え、メディア構造問題4点セットとして、問題提起を行っている。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　政府が放送免許を直接付与している現在の制度は、どう考えてもおかしい。報道機関を兼ねる放送局にとって、政府は監視対象のはずだ。その政府から免許を頂いていては、ジャーナリズムの機能など最初から果たせるはずがない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　しかも、日本では先進国の多くが規制をしているクロスオーナシップを認め、放送局利権を新聞社に与えてしまっている。そのため、本来であれば免許も不要で権力から自由であるはずの新聞社までが、政府に取り込まれる余地を自ら作ってしまっている。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　そもそも、放送局が総務省から割り当てられている電波は、国民の資産である。それを一行政機関にすぎない総務省が、誰に与えるべきかを勝手に決めているのもおかしい。そこで、市民の代表たる独立行政委員会を設置し、真に国民の利益に資する形で電波が利用されるよういろいろ工夫しようというわけだ。アメリカのＦＣＣ（連邦通信委員会）に見られるような独立行政委員会の形態については、ぜひ別の機会に詳報したい。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　新聞社が再販売価格維持制度を通じて政府の保護を受けていることも、新聞社の経営は大いに助けているが、その分日本のジャーナリズムを政治に対して脆弱にしている。先進国でいまだに新聞社を再販制度によって保護している国は、日本くらいのものである。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　もちろんクロスオーナーシップによって、一握りのメディア企業に力が集中し、結果的に新規参入が不可能になっているという問題もある。&lt;br/&gt;筆者は民主党のメディア改革に関する政策提言は、もう何年、いや何十年も前に行われていなければならなかった、当たり前過ぎるくらい当たり前のものにすぎないと考えている。むしろ、個人的にはまだまだ甘いと思っているくらいだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　しかし今のところ、改革対象となっている当の大手マスメディアは、民主党のメディア関連政策をほとんど黙殺し、良いとも悪いとも言っていない。ちょっと不気味である。「触らぬ神に祟りなし」なのか、決戦の狼煙があがるまでは力を温存しているのか。いやむしろ、「できるものならやってみろ」と、高を括っている可能性が濃厚だ。何せメディア利権というものは、過去半世紀にわたり、一度も脅かされたことのない、日本の最後にして最大の権益と言っても過言ではないほど、巨大な利権なのだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　その意味で民主党は、大変リスキーな政策を打ち出していると見ることもできる。なぜならば、この政策によって民主党政権は、強大な大手マスメディア全体を敵に回す可能性が大いにあるからだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;p&gt;メディアを敵に回すことのリスクをどう考えるか&lt;/p&gt;
　民主党が政権を獲得した際、マニフェストや政策集で公約した政策を実現していくためには、その過程で生じるさまざまな対立や摩擦を乗り越えていかなければならない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　特にいろいろなところから財源を見つけてこなければならない最初の4年間は、おそらく既得権益剥がしの4年になるはずだ。それがどれほどの抵抗に遭うかは、想像に難くない。いや、きっと想像を絶するものになるだろう。小泉政権下における道路公団や郵政民営化騒ぎの際にも、また最近では内閣人事・行政管理局の局長人事でも、われわれは抵抗勢力の凄(すさ)まじさと強(したた)かさを目の当たりにしてきた。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　民主党の既得権益剥がしが本当に実現できるかどうかも、やはり小泉政権が1つのモデルを提示している。中身の評価はともかく、どんなに「抵抗勢力」の抵抗が激しかろうとも、世論の後押しを受けた政権が本気になれば、何だって為せば成るということを、小泉政権は身をもって証明したのではないだろうか。つまり、われわれ市民が民主党のチャレンジする政策をどこまでサポートするかに、その成否はかかっていることになる。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　しかし、である。その際に、マスメディア報道が市民に与える影響はかなり大きいのではないか。われわれの多くは、依然として、政治、経済、社会など世の中のあらゆるできごとに関する情報を、大手マスメディアから得ているはずだ。そうしたメディアの報じ方次第で、改革に抵抗する勢力が、既得権益に胡座をかいた腹黒い拝金主義者集団に見えることもあれば、逆に、誤った改革を阻止するために身を挺して戦う正義の味方に見えることもあるだろう。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　たとえば、明らかにムダの温床となっている特殊法人を、民主党政権が公約に則って廃止しようとしたとする。主要メディアが、その特殊法人が天下りの温床として、いかにこれまでムダを垂れ流してきたかを、実態を含めて詳しく報じれば、たとえ特殊法人側が激しく抵抗しようとも、多くの人は民主党の政策を最後まで支持するに違いない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　しかし、逆に主要メディアが、その特殊法人が多少は意味のある活動もやっていた（どんなに無駄な事業でも、それがまったくなくなれば困る人は多少はいるものだ）という事実や、その特殊法人が解散させられることで、倒産の憂き目に遭う取引業者（何の罪もない下請けの清掃業者など）に焦点を当てたリポートなどを次々と流せば、次第に民主党への市民のサポートが細ってしまう可能性はないだろうか。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　ウェブを含めた多様なメディアから情報を入手できる時代になり、われわれの多くは大手マスメディアのデタラメな報道についてかなり見抜けるようになってきてはいる。しかし、もし主要メディア、つまり日本中の新聞社とテレビ局と通信社（主に地方紙に全国の記事を配信している共同通信社と時事通信社）が、こぞって民主党の改革に対してネガティブ・キャンペーンを張り始めたとしたら、はたしてわれわれはそれを見抜き、民主党の政策を支持し続けることができるだろうか。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　民主党が日本をよりオープンでフェアな社会に変えていく一環として、マスメディアを改革の対象としていることは、十分評価に値する。今日、日本が多くの問題をなかなか解決できない理由の少なくとも一端には、日本で真に公正で公共的なジャーナリズムが機能していないという事実があると筆者は考えている。おそらくその点には、多くの人が同意されるだろう。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　しかし、民主党政権が現実となった際の政策の成否が、主要メディアの報道に影響される面が少なからずあることもまた、否定できない事実だ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　その意味で、民主党政権が、前門に改革に抵抗する既得権益勢力を抱えながら、後門にも大手マスメディアというもう1つの敵（既得権益勢力）を抱えなければならなくなる可能性があることを、心配せずにいられない。歴史を見ても、2正面作戦が失敗に終わることは少なくない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　何にしてもまず、民主党政権では大手マスメディア自身が、主たる既得権益者として改革の対象となっているという重大な事実が、広く認識されることが必要だ。そうすれば、そのメディアが伝える報道内容に注意が必要になるという認識は、すぐに広まっていくはずだ。少なくとも現時点では、そうはなっていないように思う。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　特に民主党のメディア政策に関する報道を見るときは、それを報じている当人が改革の対象となっていることを、片時も忘れないでおいて欲しい。</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/171824621</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/171824621</guid><pubDate>Wed, 26 Aug 2009 12:44:26 +0900</pubDate></item><item><title>「検証・民主党政権で日本はどう変わるのか」第４回</title><description>&lt;p&gt;2009年8月7日　&lt;a href="http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/media/videonews/index.html"&gt;ビデオニュース・ドットコム&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「理念」を掲げれば票が減る？ &lt;br/&gt;人気優先マニフェスト選挙のジレンマ&lt;br/&gt;（ジャーナリスト　神保哲生）&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　マニフェスト選挙が、単なる「ショッピングリスト（買い物リスト）選挙」に成り下がってしまっている。このままでは政権選択選挙というよりも、「子ども手当選挙」だったり、「農業者戸別所得補償選挙」や「高速道路無料選挙」になってしまいそうだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　筆者が本連載の第1回目から指摘しているように、民主党の政策にはかなりはっきりとした理念的裏付けがある。それがこれまでの日本の政治との大きな違いだと筆者は思っているし、その理念を掲げた政党が政権の座につくことがあれば、政権交代はさらに大きな意味を持ったものになると考えている。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　その意味で、今回の民主党のマニフェストには、どうしても不満を禁じ得ない。発表されたマニフェストはよく練られてはいるのだが、結局、政策が羅列してあるだけで、これを読めば民主党が日本をどう変えようとしているかが誰にでもわかるような内容にはなっていない。もっとも、そうなることが予測できたからこそ、『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか？』&lt;という本を刊行し、本連載も書いているのだと言えばそれまでなのだが。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;この際だからマニフェストの問題点を語ろう&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　筆者は民主党の結党以来、その政策に関心を持ち、取材を続けてきた。民主党の政策については、現在のポジションのみならず、そこに至る経緯や背景も、それなりに理解しているつもりだ。その筆者から見て、今回の同党のマニフェストは、予想どおりとは言え、やはり物足りないものだった。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　1つお断りしておくが、財源問題などを取り上げて、民主党のマニフェストに挙げられた個別の政策を叩くことが、ここでの私の真意ではない。私が批判したいのは民主党の政策ではなく、マニフェストのあり方そのものだ。今回のマニフェストでは、民主党の政策の背後にある理念や哲学が十分に伝わらないばかりか、民主党政権がどのような政権になるかについて、誤解を生みかねないからだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　その背後には、現在の日本のマニフェスト選挙の限界がある。民主党は意図的に、自分たちの主張や理念を前面に出さないマニフェストを作成したのかもしれない。なぜならば、今の日本では、マニフェスト本来の目的である政党の理念や哲学を前面に出すと、むしろ選挙で不利になる可能性が大きいからだ。そこにこそ、現在の日本のマニフェスト選挙が内包する本質的な問題がある。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;政権政党はマニフェストに書いてあることしかやらないわけではない&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　そもそもマニフェスト（manifesto）はイタリア語の「宣言」「宣言書」を意味する言葉だ。『共産党宣言』（The Communist Manifesto）がその好例だろう。今回問題にするマニフェストは選挙用のマニフェストなので、「政治宣言」である必要がある。言うまでもないが、単に個別の政策を羅列しただけでは、何かを宣言したことにはならない。宣言とは、そうした個別の政策を通じて、その政党がどんな国をつくり、どのような方向に国を導いていくかという理念や哲学を明らかにすることだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　しかし、民主党に限ったことではないが、現在の日本の政党のマニフェストは、有権者に受けのいい政策だけを羅列した「政党の選挙用広報資料」に成り下がってしまっている。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　単なる政策集としてのマニフェストには、実はそれほど意味がない。なぜならば、政党はマニフェストに書いてある政策しか実行しないわけではないからだ。たしかにマニフェストに書かれた政策は政権公約として優先的に実行されるだろうし、実現できなければ、無論、政治責任が生じる。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　しかし、だからといって、マニフェストに書いてあることしか我々はやりませんとは、どこにも書いてないし、誰もそんなことは言っていない。ということは、その政党が政権を取ったときにどんな政策が実行されるかは、実はマニフェストだけを見てもわからないことになる。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　もし民主党が政権を取れば、マニフェストに書かれたもの以外にも、いろいろな政策が実行されることになるだろう。それは、これまで民主党が主張してきた政策や提出してきた法案が物語っている。政権を取った瞬間に、これまでの主張をすべてご破算にして、まったく新しい政党としてやり直しますなどということがまかり通るはずがない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　そして、民主党のマニフェストの問題は、むしろそこに書かれていない政策のなかに、同党の哲学や理念を色濃く反映する政策がたくさん含まれていることだと筆者は考えている。つまり、今回のマニフェストは民主党の理念や哲学を代表していないばかりか、むしろ誤った印象を与える可能性さえあるというのが筆者の懸念なのだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　ここ何年かの間に民主党が国会に提出した法案や、主要幹部ならびに政策担当者の発言などを通じて主張してきた主な政策のうち、マニフェストから外れたものをざっと挙げただけでも、以下のようなものがある。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;・選択的夫婦別姓の導入&lt;br/&gt;・婚外子の相続差別撤廃&lt;br/&gt;・国民全員が確定申告をする新しい税制&lt;br/&gt;・学習指導要領や教科書検定を事実上廃止&lt;br/&gt;・靖国神社に代わる国立戦没者追悼施設の設置&lt;br/&gt;・戦争責任の明確化&lt;br/&gt;・メディアのクロスオーナーシップ（新聞社によるテレビ局保有）の見直し&lt;br/&gt;・放送免許の付与権限を総務省から離し、新設される独立行政委員会（日本版FCC）がその権限を持つ&lt;br/&gt;・政府記者会見の記者クラブ非加盟メディアへの開放&lt;br/&gt;・成人年齢の18歳への引き下げ（投票権を含む）&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　意外に思われた方も多いかもしれないが、これらはいずれも、民主党が近年法案提出などを通じて推進してきた政策だ。そのほとんどが、マニフェストの元になった党の政策集『民主党政策集INDEX2009』など、党が公開している政策集には明記されている。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　要するに、マニフェストには入れない──つまり選挙用のウリにはしないし、政権公約ともしないが、民主党が主張してきた政策がかなりあるわけだ。そして政権を取ったら、いよいよその実行に向けて動き出す段階にあるといえよう。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　これらの政策には国民生活に大きく影響するものや、一般市民の関心が高いと思われるものも多い。そして、何よりもこれらは党の理念や方向性を明確に示している。問題は、なぜこれらの政策をマニフェストから外さなければならないのか、だ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;都合のよい部分だけ抜き出しても政権の姿は見えてこない&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　選挙は実に難しい。民主党の政策パッケージ全体を見ると、ここに挙げた政策も含め、かなり明確な路線が見えてくる。しかし、それを明確に打ち出すと選挙では不利になると考えられているため、民主党は路線や理念が前面に出てくるタイプの政策は極力マニフェストから外し、給付などで受益者が多く、国民受けのいい政策を主に入れてきているのだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　それはそれで選挙対策としては当然あり得る戦術だろう。しかし問題は、マニフェストが必ずしも民主党の理念を代表する政策をピックアップしたものになっていないため、結果的に民主党政権下の日本の姿が有権者から見えにくくなってしまったり、政党のアイデンティティが誤解されてしまったりすることだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　たとえば、マニフェストに含まれた子ども手当だの農業者戸別所得補償だのといった給付政策には注目が集まるが、それがどのような理念に基づいて実施される政策であるかが見えないため、単なるバラマキの印象を与えてしまっている。筆者に取材を申し入れてくる記者の多くも、「子ども手当は単なるバラマキ政策ではないのか？」との質問を向けてくる。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　子ども1人当たり毎月2万6000円が世帯所得に関係なく無条件で支給される子ども手当は、多くの家庭にとって大ごとであることは間違いない。いろいろなメディアが取り上げるのも無理からぬことだろう。しかし、この子ども手当も、民主党の政策パッケージ全体の枠組みのなかに位置づけると、少し違って見えてくるはずだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　民主党は、生殖医療への保険適用拡大から出産費用の補助拡大、そして中学卒業までは月額2万6000円の子ども手当、高校は公立高校の無償化、大学は生活費までカバーできる奨学金の大幅拡充といった一連の政策を用意している。つまり、生まれてから（正確には生まれる前から）大学卒業に至るまで、日本に生まれた子どもが高等教育を受けるところまでを政府の責任と位置づけ、本人にその気さえあれば、面倒を見ることを保障しているのだ。かつて社会保障大国だったイギリスが「ゆりかごから墓場まで」と言われたことがあったが、民主党はゆりかごよりもさらに遡り、「人工授精から大学卒業まで」をある程度まで国の責任で面倒見ようと言っているわけだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　生殖医療については、不妊治療やライフスタイルの多様化による高齢出産が増えていることを踏まえた施策だし、出産費用も現行の35万円ではカバーしきれないため、経済的負担ゆえに子どもをつくらない家庭が増えていることを踏まえてさらに20万円上乗せするという。ゼロ歳から15歳の中学卒業までは1人当たり月額2万6000円の子ども手当で手厚く子育てを支援し、高校は経済的な理由から高校進学を断念しなければならない子どもが1人も出ないように公立高校を無償化（私立の場合も学費を一部支援）、大学も同じく経済的な理由で進学を諦める子どもを出さないように奨学金を大幅拡充する。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　さらにたどっていけば、民主党は子育てに父親が参加しやすくするように、仕事と市民生活のバランスを重んじるワーク・ライフ・バランスや父親の育児休暇取得を促す（当初は義務づけるという話まであったがトーンダウンした）「パパ・クォータ」といった制度の導入まで提唱し、それに関連した施策も次々と打ち出してきた。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　あるいは、これもまたマニフェストからは外れたが、結婚で多くの女性が苗字を変えなければならない（日本では妻が夫の姓に変更するのが婚姻カップル全体の96％）ことのディメリットを最小化するための選択的夫婦別姓制度や、事実婚を容易にする非嫡出子の相続差別撤廃など、民法の改正にまで踏み込んでいるのが民主党なのだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　ここまで読めば、民主党の政策に通底する何らかの理念を多くの人が感じるだろうし、そのなかに位置付けられた子ども手当をただのバラマキ政策だととらえる人もかなり減るのではないか。しかし同時にこれらの政策は、民主党がたぶんにヨーロッパの社民主義的な再分配政党の顔を持っていることを示している。そこにこれまで知らなかった民主党の顔を見出す人も多いのではないか。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　また、靖国神社や戦没者追悼施設に対する考え方、戦争責任に対する考え方などでも、民主党は自民党政権とは明らかに一線を画する路線を取っている。これもまた、マニフェストからは見えてこないが、民主党の哲学や理念を知る上では重要な政策になるはずだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　要するに、もし民主党のマニフェストにバラマキ感を覚える人がいるとすれば、それはおそらく、明確な理念に基づいて打ち出している一連の政策のなかから、有権者受けしそうな政策だけをつまみ食いして羅列していることに、その主たる原因があるのではないかと、筆者は考えている。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;1票は愛されても増えず、嫌われると減る&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　さて、マニフェストには載っていないこうした民主党の政策を知って、民主党に惚れ込む人もいれば、急に民主党が嫌になる人もいるに違いない。そもそも最初から民主党が嫌いな人は、民主党のマニフェストも読んでいない可能性が高いし、本コラムも読んでいただけない可能性が高いので、民主党は嫌いだったけれど、本コラムを読んで逆に好きになったという人はほとんどいないと仮定しよう。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　その場合、本コラムの内容は選挙戦略的にはどういう意味を持つだろうか。もともと民主党を支持していた人が、この記事を読んでより強い民主党支持になったとしても、その人はもともと民主党に投票するつもりだったのだから、たいして民主党にはプラスにならない。いくら支持の度合いが強まっても選挙で2票入れられるわけではない。できることは、せいぜい知り合いに薦めることくらいだろうか。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　一方、もともと民主党に投票しようと考えていたけれど、ここに書かれた内容を知って投票したくなくなった人がいれば、その人の分は確実に票が減ることになる。場合によっては、対立政党のほうに票が流れてしまうかもしれない。そう考えると、2票分のマイナス効果になるかもしれない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　要するにマニフェスト選挙では、政党や候補者が旗幟を鮮明にしすぎると不利になりがちなのだ。だから、あまり理念を前面に出すことはせず、個別の政策で1人でも多くの有権者を「釣る」ほうが得ということになる。最大公約数的に支持を受けやすい政策を前面に出したほうが得で、理念や哲学を掲げ、支持・不支持が明確に分かれる政策を前面に出すと損をすることになる。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　肉じゃがとかカレーと言ってしまうと好き嫌いが出かねないが、豚肉、タマネギ、ニンジン、ジャガイモなどと、個別の材料を言っておけば、タマネギが好きな人はそれだけにつられて投票してくれるかもしれないというわけだ。たとえその人が、実はカレーが嫌いな人だったとしても、だ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　もうおわかりだろう。このやり方の問題は、個別の政策に反応して投票行動を決めた場合、いざ民主党政権ができたときに有権者にとって「こんなはずじゃなかった政権」になる危険性があるということだ。材料だけを見て、きっとこれは甘みの効いた肉じゃがに違いないと思って食べたら、実は激辛カレーだったなんてことになりかねない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「まかせる政治」に慣れすぎた有権者&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　しかし、なぜ日本のマニフェスト選挙が、そのような「ショッピングリスト選挙」になってしまったのだろうか。筆者は、これは政党側の問題というよりも、むしろ有権者とメディアの問題だと考えている。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　旗幟を鮮明にすれば得票上は損になるのであれば、どんな政党だって、理念だの哲学だのは掲げたくないはずだ。しかし、もしも「この政党の個別の政策にはいいものもあるが、この政党の政権の下で日本がどんな国になるのか、その全体像が見えなければ、危なくてそんな党には政権を渡せない」と考える有権者が多くなれば、理念を明確にしないことが政党にとってより大きなリスクになる。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　要するに、まだ日本の有権者の多くは、日本をどうするといった大きな哲学や理念よりも、損得勘定の対象となる個別の政策を出したほうがよく釣れる（と政党が考えている）ということだ。&lt;br/&gt;　本コラムで前回まで議論してきたように、日本ではこれまで「まかせる政治」がまかり通ってきたため、私たち日本人には選挙で政党に国の進路を問うなどという経験はほぼ皆無だ。だから、いきなり路線だの理念だのを訴えられても、それをどう考えていいかわからないのかもしれない。それはある程度やむを得ない面もあるだろう。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　しかし、きたる総選挙が単なる個別政策メニューの差し替えではなく、21世紀の日本の針路を問う重要な選挙であることは、有権者として忘れてはならない。政権交代の是非も大切だが、政権を交代して針路をどう変えるのかがわからなければ、何のための政権交代かということになってしまう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;政策報道をお座なりにしてきたメディアのツケ&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　日本のマニフェスト選挙がおかしなことになっているもう1つの原因はメディアである。メディアが政局ばかりを追いかけ、政策を軽視してきたことのツケが、マニフェスト選挙にも暗い影を落としている。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　まず、メディアはマニフェストそのものは参照しているようだが、驚いたことにそれしか参照していないメディアが多いのもまた、事実のようだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　たとえば、筆者は最近多くのメディアから、「子ども手当はいいが、それで何をやろうとしているかわからない」といった類の質問を受ける。そこで前述のように、生殖医療（時間があるときは夫婦別姓）まで関連づけて民主党の政策パッケージの全体を解説し、その文脈のなかに子ども手当が入ることを説明する。すると、そんなことは初めて聞いたという顔をする記者が少なくない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　民主党の政策パッケージは、党が毎年出しているINDEXにも明記されているし、これまで同党が国会に提出してきた法案を見れば明らかなものばかりだ。どうも、ここにきて、日本の政治メディアが政治を政局と履き違えて報道し続けてきたことの重いツケが回ってきているようだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;もともと日本の報道機関には、政党の政策を継続的に取材し、これを分析する専門の部署が存在しない。政治部は記者クラブのなかで日々の政局を追うことに手一杯で、そのためマニフェストに関する企画は、新聞社においてはこれまで民主党の政策を取材してきたわけではない特報班が、テレビ局においては、これもまた政策をウオッチしてきたわけではない番組ディレクターが担当している場合が多い。そのため、どうしても付け焼き刃感が否めない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;要するに、有権者も選挙で政党の理念や哲学をどう問題にしたらいいのかわからず、メディアはメディアで、そもそもそれらを扱い得るマインドや裏付けとなる知識を持っていない。そんな状況で表層的な報道合戦が行われるのであれば、政党としても、リスクの高い理念などを打ち出すよりも、話題性のある個別の政策を羅列しておいたほうが、よほど効果的でリスクも小さいということになる。その個別政策にまた有権者やメディアがつられてしまう。まさに悪循環である。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　筆者は、民主党の政策全体を見渡したとき、「官僚にまかせる政治から市民が引き受ける政治」への転換の意図を明確に感じ取ったし、また「オープン・アンド・フェアネス」によって、日本をより開かれた、フェアな国に変えていこうという意図も、はっきりと見て取れた。これが鳩山由紀夫代表が言うところの友愛の精神にも通じるものだと考えている。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　きたる総選挙を真の意味で政権交代を問う選挙にするためにも、ぜひとも日本のマニフェスト選挙に潜む悪循環の構造を断ち切りたいものだ。&lt;/p&gt;</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/171799065</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/171799065</guid><pubDate>Wed, 26 Aug 2009 12:12:00 +0900</pubDate></item><item><title>"つまり、自分の頭で考えるために、本を読めと大人の男に訴えているのである。なんだかあたりまえの事を言っているだけのような気がするが、考えてみたら日本の大人の男というのは自分の頭でちゃんと考えてこなかった人..."</title><description>“つまり、自分の頭で考えるために、本を読めと大人の男に訴えているのである。なんだかあたりまえの事を言っているだけのような気がするが、考えてみたら日本の大人の男というのは自分の頭でちゃんと考えてこなかった人がすごく多いだろうなと思う。簡単に言えば金儲けのことばかり考えて人間のあり方というものを考えてきた人があまりいないということだ。それも個人的にではなく、日本人のあり方として、というレベルのことを。&lt;br/&gt;
「金儲けのことだけでなく人間のあり方のことも考えろ」という主張は全くそのとおりだなとは思うが、逆に私などは金儲けのことをちゃんと考えてきてないので全然時代遅れだったのだが、逆に三周遅れくらいで先に走っているということになっている・・・といいなと思う。オバマの登場は、経済の時代の終わりと理想を語る時代の始まりを告げていると思っていたが、オバマの登場自体が近代のどん詰まり、経済の時代の終焉によってもたらされたのだと考えるべきなのかもしれない。面白い時代になってきたのかもしれないと思う。”</description><link>http://already-taken.tumblr.com/post/167169909</link><guid>http://already-taken.tumblr.com/post/167169909</guid><pubDate>Thu, 20 Aug 2009 16:19:58 +0900</pubDate></item></channel></rss>
